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護法之書
(あか)き椿


 昔々、世の中にやっと文字という文化が入って来た頃の事。ある渡来人が貴族の家にやってきていう事には
「この書をお前達にあげよう。後世大事にとっておきなさい」と。
 その家の主人は怪しみながらも書を受け取り、開いてみた。中にはこの国の言葉がかかれていたが、主人が読もうとしてもどうしても読む事ができなかった。
「お前には読めなくともお前の子孫にそれを読む事ができる者が必ず現れる」
 そう言うと見知らぬ渡来人は書を託して帰ってしまった。
 その家の主人はどうしたものかと悩み、結局読めない書に用はないと塗籠(ぬりごめ)にしまい込んでしまった。






 それから何百年の後、都を平安京に移してしばらく経った頃、先祖が残した塗籠の中で遊んでいる着袴(ちゃっこ)を済ませたばかりの少年がいた。
 その少年は塗籠に置いてある書を開いては閉じ開いては閉じるを繰り返していた。絵を指差しては誰かに話しかけるように後ろを見て笑い、新しい書を見つけては手を叩いて喜んでいた。
 そして少年は塗籠の奥で一冊の書を見つけた。それは何百年も前、少年の先祖が見知らぬ渡来人から受け取った書だった。少年はそれを開くとおもむろに読みあげた。
高天原(たかまのはら)神留(かむづま)()す…」
 先祖が読めなかった書を読みあげた少年の名は藤原…






吉綱(よしつな)様!藤原吉綱様!」
 背丈五尺七寸、年は二十になったばかりの若く端正な顔立ちに人の良さそうな笑みを浮かべて吉綱は振り返った。
「私に何か?」
郁芳(いくほう)門の衛士殿がお探しですよ」
「あ、分かりました。すぐ行きます」
にこやかな表情を浮かべて吉綱はそそくさとそこを立ち去った。しかし心の中は表情と真逆だったのだ。
あいつめ、いきなり呼び出しやがってこっちにも仕事があるんだぞ。これで退出が遅れたら末代まで祟ってやる。
些か理不尽とも思われる感情を胸に吉綱は郁芳門に向かった。
郁芳門に着くと背丈五尺もないと思われる小柄な衛士(えじ)中務(なかつかさ)省の役人が話していた。吉綱が近づいて行くと衛士がこちらを見て役人に言った。
「あ、おりました。ありがとうございます」
「いや別にいいんだよ」
そして役人は中務省の方に歩いて行った。
役人が見えなくなると郁芳門の衛士は浮かべていた微笑みを完全に消し去り、これまでの丁寧な態度からはとても想像できない人の悪そうな表情を吉綱に向けた。
「遅いじゃないか。ずっと呼んでたのに。呼んだらすぐ来い」
「お前なぁ…探してるという言葉を使うならお前が探しに来いよ。呼んでるのは探してるのとは違う」
「面倒だ。呼んだ方が早い」
吉綱は他の人には見せないような不機嫌丸出しの顔になった。そして低い声で聞く。
「ところでセイ、何の用だ。呼んだだけなら帰る」
セイと呼ばれた衛士はからかうように笑った。
「人がせっかく調べあげたのにそんな態度とっていいのか?他にこのこと話すことだってできるのに?」
「話すようなことしたらお前に呪詛(じゅそ)送ってやる。結果をさっさと教えろ」

 困った人だと言ってセイは腰に穿()いた太刀(たち)()に手を添えた。セイが柄を手で触った時は真面目に話しをする気になった時だ。後は太刀を抜こうとしている時だけだった。
「あれは推測通りの家にいた」
「やっぱりそうか。じゃあすぐに先触れを出して今日行こう。先触れはそこらの雑役にでも頼もうか。俺が行くと言ったら拒否はしないだろう」
「さすが名家藤原家。権力が違う。」
 吉綱が目を細めた。
「お前ばかにしてるのか?俺があの大貴族藤原家とは関係ないの知ってるだろう?」
 吉綱の姓『藤原』は後に道長などをだすことになる大貴族藤原家とは全く関係がないのだ。それなのに何故吉綱の家が藤原を名乗っているかというと吉綱の父が昔、姓を大貴族藤原家にあやかって『藤原』と改名したのが原因だった。そんなふざけたことが通ったのはひとえに大納言である父の権力の賜物だろう。
「知ってる。わざとだから」
 吉綱はセイを全力で殴りたいと思ったが、丁度その時近衛府(このえふ)の役人が吉綱を探しに来たので殴るに殴れなくなった。その武官に少し待つように言うとセイの方に向き直って手早く言った。
「退出時刻になったら朱雀(すざく)門で落ち合おう」
 セイは吉綱にだけ分かる程度に顔を歪めた。
「それは俺にも行けと言っているのか?」
「もちろん」
「お前…名を名乗らない人が名高い貴族の家に行った時の待遇を何度も見ているだろう?それでも行けと?」
「名を名乗ればいいじゃないか」
「…お前だって知らないだろう…?それなのに見ず知らずの貴族に名を教えろと…?」
 吉綱すらもこの小さな衛士の本名は知らない。セイというのは本名の一部らしいのだが、本名を知る者は誰もいないのだ。上官すらも本名を知らないのにどうやって衛士になったのかはわからない。セイという呼び名も吉綱しか知らない。
「一応来てほしいんだよな。お前の身元は俺が保証すればいいだろう?」
 セイは物言いたげな顔をしたがどうやっても折れない吉綱の強情さを思い出して溜め息をついた。
「…わかった…。行くよ。行けばいいんだろ?」
 吉綱は満足げに首を縦にふって呼びに来た役人と共に去って行った。
 退出する時刻。セイが朱雀門に行くと吉綱は牛車(ぎっしゃ)にもたれかかってすでに待っていた。
「遅い」
 さっきの仕返しをするかのように吉綱は淡々と言った。
「目上の者が待たないように早めに来てるもんだろ?」
「今さっき退出の鐘が鳴ったばかりなのにそんなに早く来られるわけないだろう?ここで無駄話するんだったらそんなに早くくる意味がない」
 吉綱は反論できなくなり、しかめ面で牛車に乗り込んだ。
「おい。セイも早く乗れよ」
「俺が?ただの衛士なのにか?遠慮したい。俺は外にいる」
「それだと時間がかかるから乗れと言ってるんだ。地位のことを気にしてるんだったら俺が許可するから」
 そんな簡単にことが済むなら苦労しないと心内で言ったがそんな話が通じるようなやつじゃないと諦めてセイも牛車に乗り込んだ。
 牛車の中は思ったよりも広く、二人が座ってもまだ余裕があった。
「で、用件は?」
「あちらに通してある方か?それなら先日和歌を頂いたそちらの姫君と是非一度お話がしたいと通しておいた」
 吉綱は奥に潜む優しさが滲み出した笑顔と生真面目さでなかなか女性にもてるのだ。顔は並み程度だがその人柄のよさと高い地位が一番の影響だろう。
「さすが(きね)君。本当にもてるねぇ」
「ことあるごとに幼名をだすな!その幼名嫌いなのは知っているだろう!」
「いい名だと思うがな。杵、なんか珍しくていい」
「餅が好きだからつけたみたいで嫌いだ。もっと普通の、ありふれた名の方が…」
童子(どうじ)とか?お前は次男だからそれはないな」
「あぁもう、話がずれてきた気がする」
 そんな会話をしているうちに牛車は件の貴族の屋敷に到着した。
 出迎えた雑色(ぞうしき)に藤原吉綱が来たと告げるとすぐさま奥へ通された。そこに女房がやって来て言った。
「姫に今お伝えいたしましたので少しお待ちください。…ところでそちらは…」
 女房はセイのことを言っているようだった。吉綱と違い安っぽい直衣(のうし)を見にまとまい、小さな背丈に不似合いな大太刀を穿いているのだから無理もないだろう。
「あぁ、郁芳門の衛士なのですが今日はただの付き添いですからお気になさらないでください」
 そんなことを言われても気になるだろう。女性のもとに舎人や従者以外の者を連れて来る人などこの時代はいない。
 しばらくすると他の女房がやってきた。
「吉綱様をお連れするように仰せつかってまいりました」
「では付き添いの方はこちらでお待ちいただけますか?」
 吉綱とセイはそれに了承した。






 姫君の部屋に向かう途中吉綱は庭にさしかかった。そこには紅い椿と氷のはった大きな池がありとても美しい庭だった。
 ふと視線を感じ、吉綱は辺りを見回した。西対屋(にしのたいのや)に衣の裾が見えた気がしたが、まばたきをしていたら衣は消えていた。
「…気のせいか…」
 吉綱がごく小さな声で呟くと前を歩いていた女房は自分が話しかけられたと思ったらしい。
「何か?」
「いえ。なんでもありませんよ」
吉綱が微笑むと女房は不思議そうな顔をしていたがそのまま進んでいった。
 東対屋(ひがしのたいのや)につくと吉綱は待っているように言われた。しばらくすると先ほどの女房とは違う(くれない)の衣を身にまとった女房がやってきた。
「吉綱様、姫はこちらにございます。ついていらしてください」
 そう女房は言うと東対屋を離れもときた道を戻り始めた。吉綱は不思議に思ったがなんとかなるだろうと楽天的に考え、女房について行く。
 やがて西対屋に到着した。その部屋は普段誰も使っていないらしくうっすらと埃が積もっていた。部屋の中には几帳(きちょう)脇息(きょうそく)が置いてあったが人の気配はまるでなかった。
「姫君は一体どこにいらっしゃるのですか?」
「姫ならば東対屋であなた様をお待ちですわ。永遠に来ないあなたをね」
 女房は懐剣を出し、吉綱に切りかかってきた。吉綱は一歩後ろに下がり懐剣をよける。
「昔年の恨み今はらしてくれよう」
 女房はそう言うとさらに切りかかってきた。吉綱は右に左に女房の懐剣をよけていく。しかし、運悪く足もとに脇息があり、吉綱は脇息に足を倒れた。その拍子に近くに置いてあった几帳が大きな音と共に倒れる。
 吉綱はすぐさま立ち上がろとしたが女房の動きは予想以上に早く倒れた吉綱の頭の近くにきて今にも首を掻き切ろうと懐剣を構えた。倒れた体勢のまま吉綱は女房の腕をつかみ懐剣をもぎ取ろうとするが、女房はあいていた方の手で吉綱の胸ぐら掴むとを床に押さえつけた。必死に抵抗するが女房の力は女のものとは思えないほど強く武官の中でも力の弱い吉綱が女房の腕を押さえていられるのも時間の問題だった。
 どこからか生暖かい風が吹いてきて女房の耳にかかっていた長い髪が吉綱の視界を邪魔した。視界が再び開けた時、女房の頭に二つのこぶのようなものが見えた。それは紛れもなく鬼の角だった。
「お前が(くだん)怨鬼(えんき)か…!!」
 吉綱がそう呟くのと同時に爆発音のようなものが響きセイが太刀を抜いて怨鬼に切りかかっていた。セイに気がついた怨鬼は大太刀を懐剣で防ぐ。二人は得物を突きつけたまま睨みあっている。
 不意に吉綱の鋭利な声が響いた。
「緩くともよもやゆるさず縛り縄、不動の心あるに限らん」
 転法輪印(てんぽうりんいん)を結んでいた手をほどき今度は外縛印(がいばくいん)を素早く結びしっかりと怨鬼と化した女房を見据えてはっきりとした声で唱えた。
「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」
 吉綱から通力が放たれ霊力の鎖と化して怨鬼を締め上げる。怨鬼は身動きがとれなくなりその場に倒れた。
「セイ、片付いたぞ」
「お前なぁ…」
 吉綱がセイの方を見た。セイは吉綱が怨鬼に対して放った術に拘束されていた。
「あ。悪い悪い。でもお前ならそれ解けるだろう?」
「くそっ…」
 セイが呟くと同時にパチンとはじける音がして霊力の鎖がはずれた。そしてセイは吉綱を見て静かにたたみかけるように言った。
「解けるけどなぁ、不動金縛りやるならちゃんと力制限して俺にまでかからないようにしろ」
「これでも頑張ってるんだ。これだけはどうしてもな」
 セイが大きくため息をついた。
「で、これどうするんだ?」
 不動金縛りをかけられたまま転がっている怨鬼を指差した。
「とりあえず普通の人間に戻してやりたいんだが…」
「なんか問題があるのか?」
「…戻し方がわからない…」
「お前馬鹿か?お前が使ってる修験道とはとても便利な物でな、印などを忘れても術を発動できるようになってるんだ」
「あぁ、そうか」
 そう呟くと吉綱は不動根本印(ふどうこんぽんいん)を結んで唱えた。
「アビラウンケン」
 柏手を二度うつ。吉綱の通力を含んだ突風が西対屋を駆け抜けた。突風が収まった時には女房の頭に角はなくなっていた。女房は気を失っているようで全く起きなかった。
「仕方がないからとりあえず不動金縛り解かないとなぁ」
 そして鋭く唱えだした。
「オン・キリキャラ・ハラハラ・フタラン・バソツ・ソワカ」
一呼吸入れて再び唱える。
「オン・バザラドシャコク」
 そして指をはじいた。不動金縛りは解かれ霊力の鎖はいつの間にか消えていた。
「こんなもう暗くなってる。どうするかな」
 西対屋から外に出て吉綱が呟いた。






 その光景を屋根から見ている者がいた。片膝を立て黒い髪を後ろで一つに縛っている。
「護法に選ばれし者でもこの程度の力なのか。遊びがいがないな」
 この時代の者とは思えない身軽な格好をした男は立ち上がると呟いた。
「もうすぐ時が満ちる…」
男が空を見上げた。多くの星々と間もなく地平線に沈もうとしている眉月(まゆづき)がそこにはあった。














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