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偽りの草原


「…ってぇ……」
 背中に痛みを覚えてセイが目を覚ますと、そこはいつもの超常現象解明局の一室でも、まして不動明王の宮でもなかった。一面に草原が広がる何もない異界。動くことのない雲、風も吹くことを躊躇(ためら)ったような淀んだ空気。
 痛いのは背中が当たっている地面に石が転がっていたからだ。
「…ここは、どこだ?」
 ぼーっとする頭でセイが呟いた。
「ようこそ我らの本拠地へ」
 声がした方を振り返ると、抜き身の刀を手にした暁が口元に微笑を浮かべて立っていた。
「歓迎するよ、制多迦童子(せいたかどうじ)
「本拠地だって!?」
 笑みを深めて刀を握り直した。
「あの方もおわします場だ。鬼である我らに与えられた土地さ」
「何故俺はこんなところに…」
「そんなもの知るか。俺はただ異物が入ったから排除してこいと命令されただけだ」
 暁が刀を下段に構えた。セイは瞬間的に懐に手を入れて、扇を取り出す。間一髪で暁の刀を防いだ。
 暁がセイの耳元で囁いた。
「分かってるだろう?俺が手加減しなきゃ今のでお前は死んでた」
 セイが飛びすさって、扇を構え直す。扇には今受けた刀傷がしっかりと刻まれていた。
「鬼神としての本来の姿でこい。数瞬で死にたくなければな」
 暁が一歩で距離をつめる。振り下ろされた刀を扇で受け止めるが、扇は時間をかけずに真っ二つになる。セイは転がってなんとか避けた。
 その動きを読んで暁は刀を横に払う。峰を腕でなんとか止めるが、耐え切れずに吹っ飛んだ。草の上を何度か転がって立ち上がる。
 その場に留まったまま、切っ先をセイに向ける。
「数瞬とか言ってなかったか?」
 そう挑発的に言いながらも、唯一の武器である扇を失ってどうこの状況から脱却するか必死で頭を動かしていた。
 そのセイの心の中を知ってか知らずか、暁は刀を一旦鞘に収めて手を腰に当てる。
「弱い者を殺すのは心が痛むからな」
「嘘をつけ」
「嘘じゃないさ。可哀相でならないから…」
 一歩ずつ近づいてくる。それを見据えて、いつでも応戦できる体勢をとった。
 しかし、いくらも近づかないうちにぴたりと足を止めた。
「じわじわいたぶりたくなる」
 暁が刀に手をかけた。セイが飛びすさる。
「聞いてやるよ。鬼神らしくさっさと死ぬのと、弱者らしくじわじわ死ぬのとどっちがいい?」
「どちらも…」
 セイが地に手をついた。その手は剣印を結び、口の中で呪を唱える。
 その様子に気づいて刀を抜いた。
「断る!」
 切り掛かるのと同時に、突風が吹き荒れる。暁が目を閉じると刀に何かが当たる感触が手に伝わってきた。人体や布ではなく、もっと硬質のもの。
 突風が止んだ途端に目を開けると、前には今まで相手にしていた者よりも長身の影。刀を止めるのは不動明王の智剣(ちけん)
「ようやく本性で戦う気になったか、制多迦童子」
 制多迦は智剣で刀を弾いて一歩退いた。
「お前に殺されるのはごめんだからな」
 暁は口端を引き上げた。強い相手を前にした喜びがそこに表わされている。先ほどまで操っていたよりも速さの増した刀を振り下ろす。
 それを真正面から受け、鍔ではじく。油断なく相手の動きを見ながら、何気なく聞く。
「出口はどこだ」
「少なくとも…」
 暁が距離を詰めてきた。
「お前に用意された出口なんてものはない」
「あるのは死のみ…って?」
 制多迦が一歩退くと同時に、暁の刀が空を切った。ぎりぎりの命のやり取りをしながらも、二人の口調はまるで世間話をしているようだった。
「わかってるじゃないか」
「何度お前と対峙したと思ってる」
「数えるのも面倒だな」
 制多迦が袈裟(けさ)掛けに智剣を振り下ろす。刀でそれを止めながら智剣ごと掴み、ひねりを加えて得物を落とさせようとする。彼は自ら体を回転させて相手の手を緩め、また距離をとった。
 ふいに暁が刀から片手を放した。剣先が下を向く。
 怪訝(けげん)な顔を向けた。暁はそれに答えずに、空を眺める。いつでも変わることのない空は今も動かず、数刻前に見たままの姿でそこにあった。  完全に戦意を失ったかのようにも見えるが、実際はこちらまで届く強い殺気を放ち、まったく隙を作らない。殺気は近づけば皮膚が切れそうな雰囲気を持っている。
「かかってこないのか?」
 空を見上げたまま暁が問う。制多迦は慎重に智剣を握りなおした。
「お前こそ」
「………」
 ゆっくりと視線を地上に向けた。その眼には先ほどまではなかった意志が宿っている。
「わからないな…。なぜ力を惜しむ」
「何を…」
 口元に笑みを浮かべた。目は笑っていない。
「制多迦童子、なぜ剣を持っているんだ」
「………」
 今度は制多迦童子が押し黙る番だった。理由はある。不動明王に金剛棒をこちらに持ち込むのを止められたからだと言えばいい。だが、今は…自ら智剣を借り受けてしまった気がしていた。力を抑えるのが目的なのか、そんなことは自分でもわからない。
 黙ったままの制多迦を気に掛けずにさらに重ねて問う。
「我らが、不動明王と敵対しようという我らが不動の八大童子について何も知らないとでも思っているのか?お前が通常は棒術を使うということも知らないとでも?」
「………」
「失望させるなよ」
 暁の表情と態度の意味が分かった気がした。相手が力を出し惜しみしていることに対して苦々しく思っているのだ。決して自分が弱いわけではないのに。
「変えるつもりはないんだろう?」
「…ああ」
「そうか……ならば仕方がない」
 暁が一度鞘に収める。右手で刀を握り、姿勢を低くする。
 その気迫に、制多迦は空いている方の手で印を作った。何もないよりは足しになる。
「久しぶりに全力でやれる相手が現れたと思ったのにな。ここで殺すことになるとは、残念だ」
 暁が一歩で制多迦の懐に飛び込んできた。後ろへ飛びながら、術を完成させる。発動した術が目に見える刃となって飛んで行くが、彼は僅かな動きだけでそれを避けて速度は全く落とさない。
 智剣を振るって隙を突こうとするが、突進してくる彼にそんなものは通用しない。
 刀を抜いて居合の要領で切りつける。先読みしていた制多迦がそれを止めるが、勢いだけで暁が智剣を吹き飛ばした。
 吹き飛んだ智剣を目で追いながら、制多迦が慌てて印を組む。呪を唱え始める前に、暁の刀が首筋にあてがわれる。
「っ………」
「終わりだ。せめてもう少し頑張ってくれれば、おれの記憶の片隅には残っただろうが、もう手遅れか」
 一瞬の出来事がゆっくりと遅れて見える。腕が動いて、刀が首に当たった感触。血が噴き出して、暁の右腕を染めていく。そして鈍い痛みを一瞬感じ取った。
 その後は眠るように記憶が消える。






 セイが布団から跳ね起きた。左右を確認して、肩で息をする。そこはいつもの解明局内にある自分の部屋だった。淀んだ空気も草原も何もない。
「…夢、か」
 首筋を触ってみるが、傷もなく滑らかだ。しかし、あの鈍い痛みはそこにあるように感じられた。そして皮膚が切れてしまいそうな殺気も。
「嫌な予感がするな…」
 本当に暁がそこにいて殺気を放っているような気がしてならない。視線は感じなくとも、あの殺気は分厚い壁を越えて届きそうだ。
「手を抜いたら、死ぬのは俺か」
 この夢は戒めだ。手を抜いてはならないという戒めだ。










 時間的には第五話と第六話の間ってところでしょうか。あの時あたりまで制多迦は智剣を振っていたはず…。
 最後のところですけど、セイは解明局の建物内にある部屋で寝起きしています。吉綱もいるんですが、彼は何日かに一回、実家に帰るんで…。父と兄が吉綱を呼ぶ…。これ、わりと前から決まってたんですけど、いつまでたってもこの設定を出す場面がなかった…。
 番外編とはいえ、暁を勝たせちゃうってね…。そういえば暁が本編よりも性格悪くなってる気がしないでもないな…。
 うっかり3か月もUPし忘れてすいませんでした。




2009年8月23日

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