紅の裏にあるもの

護法之書
紅の裏にあるもの

　目の前にあるのは人の身体。動くことのない人間。液体がその人間を染めて、元の色が判別出来ない。数瞬前には見ていたはずの色は思い出せない。
　それを染めている液体が自分の持っている刀にからも滴っていた。よく見ると着ている物にも飛び散っている。
　同じ色が視界の全てを埋め尽くしている。
　無感動にそれらや自らの手を眺めてふと考えた。
『俺は誰だ？』
　突然激しい頭痛に襲われて刀を取り落とす。痛みに耐えようと額に手を伸ばせば、指先にあるはずのない突起が触れた。
『そうか…。俺は鬼になったのか』
　その時から俺の目は紅しか映さない。

　それからどれほど時が経ったのだろうか。少なくとも赤子が成人する以上の時だ。このときにはすでに時間という感覚を切り離していた。
　自分の姿を鏡に映して考えていた。
　鬼になったその時から俺の時は止まっている。いつまでも二十を少しばかり越した見た目は変わらない。人間だった頃の記憶も残っていない。ただ時間の経過を感じさせるのは、億劫だがたまに切らないと邪魔になる髪だけだろうか。
　鬼になった後のことは覚えている。ふらふらと異界をさまよっていた時に‘あの方’に声をかけられた。すでに固まった赤黒い血で汚れた手や衣服、無意識に持ってきた刀。隠そうともしない虚無感と殺気が‘あの方’の目に止まったらしい。人を殺し、仏に刃向かうという内容を聞いた時、俺は即座に答えていた。
『やる』
　特に何か考えていたわけでもないが、あの時俺はきっと争いに飢えていた。一度知ってしまった味を忘れることなどできなかった。その味を求めて彷徨い、この渇きを潤せるものを探していた。
「暁」
　そういえばその名を与えたのも‘あの方’だったか。そんな埒もないことを考えていると、俺の名を呼んだ女が視界に無理矢理割り込んできた。
「聞こえたら返事ぐらいしなさい!!」
　眉間に皺を寄せて、思いきり不機嫌な顔を作ってから答えてやった。
「頭に響くんだよ、お姫さまの声は」
「お姫さまって呼ばないでって言ってるでしょ!!」
　お姫さまと呼ぶ以外に彼女を表す適切な言葉はないと思っている。思夜(しや)とかいう名前だった気もするが癪にさわるので呼んでやるつもりはない。
「お姫さまがわざわざ俺に話しかけてくるんだから、用があるんだろ？」
　彼女はため息をついてから俺の後ろを指さした。そこにあるのは‘あの方’がいる屋敷だったはずだ。もう何年も‘あの方’の下にいるが、その屋敷に入ったのは数えるほどだった。
「金鏡(きんきょう)様がお呼びよ」
「あぁ。金鏡様が」
「まったく…。こんなやつを呼ばずに私を呼んでくれればいいのに…」

「お呼びですか、金鏡様」
　丁寧な言葉を選びながらも態度には尊敬の気配などまったく覗かせずに言った。
「暁」
「はいはい」
　金鏡様は俺の失礼な態度に一瞬顔をしかめた。しかめたと言っても長布が遮っている顔を見たわけではなく、そういう気配が漂ってきたというだけだが。
「お前に仕事だ」
　無言でいると、金鏡様がさらに続けた。
「人界にいるある男を片付けろ。その相棒ともいうべき者も一緒にな」
「男…？」
　なんだ仏じゃないのか。人間でも殺せば楽しいものだが、脆弱な者は抵抗というものをしないからつまらない。
「男と言ってもただの人間ではない」
　何かしらの力を持っているのか。霊媒師か、陰陽師か。
「不動八大童子の生まれ変わりだ」
「……!?」
「前に八童子と対峙した時に、やつらを担当していた者は負けて消滅した。しかし、向こうにも一人瀕死の重症を負った者がいる。それの名を矜羯羅童子(こんがらどうじ)という」
「男というのは矜羯羅童子の…!?」
「生まれ変わりだ。正確には傷が完全に癒えるまで人の身体に魂を入れているだけだが」
「相棒というのは…」
「矜羯羅童子の護衛ということで遣わされた制多迦童子(せいたかどうじ)。これも人の身体を借りてはいるが、童子としての意識は残っている。本来の力には劣るだろうが、人程度ならは簡単に凌駕(りょうが)できるだろう」
　口角を引き上げて笑った。
　人の姿を借りた鬼神か…人から堕ちた鬼とどちらが強いだろうか。どちらにしろ相手をするのに不足はない。
「不動明王を引きずり下ろす足掛かりにしたい。出来るか、暁」
「もちろん」
　一礼することなく踵を返して、屋敷を後にした。

　人界に降り立ち、夕陽を背にして街や人を眺めていた。
　矜羯羅童子の生まれ変わりだという男、藤原吉綱(よしつな)は大企業の社長の次男坊で、父に貰った屋敷を使って‘超常現象解明局’というオカルト関連のなんでも屋をしていた。制多迦童子もそこで手伝いをしているようだ。
　これを利用しない手はない。
「…あれでいいか」
　大きな屋敷の庭で掃除をしている使用人の女がいた。
　背後から忍び寄って声をかける。
「すみません」
「はい？」
　女が振り向いた瞬間に鳩尾を突いて気絶させた。その場に倒れた女の髪をつかんで顔を持ち上げる。その耳元に唇を寄せてそっと囁く。
「憎い者はいないか？」
　屋敷の連中、家族、友人。
「そいつらに仕返しをしたいとは思わないか？」
　短い問いで女の内に潜む負の感情を増幅させる。負の感情で心を満たせば、後は簡単だった。
「俺が叶えてやるよ」
　女の額に小さな角が現れた。
　それを確認して、つかんでいた髪を放す。角は髪に隠れて見えなくなった。
　女がゆっくりと目を開ける。虚ろな目は暁に気づくことなく、倒れた時に落ちた箒を持って再び掃除を始めた。
　その場で庭を眺めて、ある物に目を止めた。血のように赤い花だ。名前など知らないが、なんとなく気にいった。
「何かあったら分かるようにしておくか」
　懐から紙を取り出して、花の咲く木の後ろにある塀に置く。俺の力を吸ったこの紙がある限り、ここの情報はつつ抜けだ。
　これでやつらはきっと動く。お手並み拝見といこう。

　暁さんに飢えまして、こんな物を書いてしまいました。暁さんスペシャルです。
　内容は第一話のちょっと前と暁さんが鬼になった瞬間ですね。本当は金鏡様について触れようと思ってたんですけど、ここまで暁さんならいっそ全部暁さんでという暴挙。
　金鏡様が神の座をおわれた時とかもちょっと書きたいし、不動明王だけではなく他の仏も潰そうとしている（でも明王優先）ことについても書きたいけど、絶対長くなるー!!はるさんには護法之書の続編を望まれていますが…か、書けたらね(汗)もし書いたらその時に金鏡様話を…書けたら(汗)暁さん話は番外編で書くしかなかったからさ!!
　てか一人称書きにしたいのか三人称書きにしたいのか分からないんじゃー!!

2009年3月7日

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