「どこに行ったー!!」
「捕まえろ!!」
十手を持って男が二人通りを駆け抜けて行った。
「騒がしいのぉ」
ガサガサっという音を立てて麻袋から男が出てきた。
通りを歩いていた人々は男に驚き騒ぎ出した。
「そんなに驚くことはない。それがしは侍だ」
そう言った男の腰には確かに刀があった。
訝しげにする人々をなだめて男はその場をそそくさと立ち去った。
人々が男を見送っているとさっきの岡引が戻ってきた。
「今ここに刀を帯びた男がいなかったか!?」
「いたけど…もう行っちまった」
岡引は地団太を踏んで悔しがった。
「あの人は罪人なのかね?」
老人が聞いた。
「いや。あれは浪人だ。名は橘清助」
「じゃあ何でお前さんたちあの人追ってるんだ?」
岡引たちは言いよどんでいるようだった。通りにいた人々が促してやっと思い口を開けた。
「あれは殿がお探しの侍なんだ」
名もなき刀
「お前!!一体何者だ!!名を名乗れ!!」
「それがしか?それがしは橘清助。今は…浪人だな」
清助は頭を掻きながら、困った顔をした。
岡引から逃れた後、清助はなぜか15歳ぐらいの少女に捕まっていた。いや。捕まったというのは正しくない。清助が田畑のそばの道で昼寝をしていた所に少女が駆けてきて勝手に足につまずき、清助を攻め立てているのだ。
道端で寝ていたこちらに非があるので清助もおとなしく少女の文句を聞いているのだがそれが長い長い。
元来辛抱強いほうの清助もさすがに口をへの字に曲げていた。
「無駄に長い足を伸ばしてこんなところで寝ているから他の人が迷惑するんだ!!寝るなら他で寝ろ!!」
「それに関しては先ほどから謝ってるではないか。そんなに怒る必要はないだろう。それより、そなた急いでいたのではないのか?」
少女ははっとして左右を見回した。太陽はだいぶ傾いている。
「もうこんな時間!?しまった!!女将さんに怒られる!!」
走る去る少女を清助が見送っていると、少女は何か思いついたのか戻ってきて清助の腕をつかみ引っ張って行った。
「なぜそれがしまで走らなければならんのだ!!」
「遅くなった言い訳の証人だ!!どうせ、浪人だから泊まるところもないんだろう?一晩とめてやるから来い!!」
「それは助かる。そういえばそなたの名を聞いていなかったな」
「あやめだ!!そんなことより今は走れ!!」
清助の意は完全に無視してあやめと名乗った少女は町に向かって走っていた。
「あやめ!!何やってるんだいお前は!!しかもこっちのお方の話じゃ自分からつまずいて永遠文句言った挙句無理やりここまでつれてきたそうじゃないか!!」
「…すみませんでした」
「分かったらさっさと仕事する!!」
来て早々女将さんに怒られて半泣きになりながらあやめは雑巾を持って屋敷中を掃除しだした。
清助はその光景を不憫に思いつつも、初対面の女将さんと二人きりにさせられて居心地の悪さを覚えていた。そんな清助の様子を見透かしたように女将さんが優しげに言った。
「そんなに硬くなりなさるな。あやめにしたように怒鳴ったりはせんよ。それよりうちのあやめが迷惑かけた分もゆっくり休んでいきなさいな、お侍様」
「一文無しで困っていたところだったからありがたい。本当にいいのか?」
「ああ。あやめは娘みたいなもんだからね。娘の失態は親が何とかするもんさ。それにここはお宿。客が一人増えたって大して変わりはせん。だからゆっくりしていきなさい。いざとなったらお侍様に働いて返してもらうからいつまでいてもいいよ」
「かたじけない」
「何かあったらあたしに直接言いなさい」
清助は左手に刀を持って立ち上がり障子に手をかけた。そして気がついたようにふり返ると少し困ったように笑っていった。
「ひとつお願いしたい」
「なんだい?」
「それがしを…お侍様と呼ぶのはやめてくれまいか?今はただのしがない浪人ゆえ…」
障子を開けて清助は出て行った。一人部屋に残された女将さんは少しため息をついて微笑んだ。
「まったく…あやめはまたすごいのを連れて来たね…」
「どこだここ?」
目を開けても真っ暗で何も見えなかった。そして妙にほこりっぽい。起き上がろうとしたが手足が縛られていて身動きが取れない。
「すまぬ。巻き込んでしまったようだ」
苦笑気味の声が聞こえ、あやめは辺りを見回した。しかし暗すぎて人の顔も判別できなかった。
「橘か」
あやめはなぜ自分がここにいるのか思い出してきた。
女将さんの言いつけで門の外を掃いていたら清介がやってきたのだ。
「そんなところにいないでさっさと中入れよ。掃除の邪魔だ」
「いや、手伝おうと思ったのだが…」
「それはありがたい。だったら邪魔してないでさっさと消えろ」
あやめが邪険に扱うと、清介はあやめが持っていた箒を取り上げて履き始めた。
「何してんだ」
「何って掃除。それがしが役に立つという事をあやめ殿にもわかってもらおうと」
「わかったから箒を返せ」
「拒否する」
そこで箒を取り合って喧嘩になった。喧嘩と言ってもあやめが一方的に罵っていたのだが。
清介がそろそろ放そうかと思った時、あやめを後ろから見知らぬ男が捕まえた。清介が人を呼ぼうとすると後ろから声がした。
「そこの娘の命が惜しいなら黙ってついて来い」
温厚な男が聞こえがよしに舌打ちしたのが見えた。
記憶が途切れているのを不思議に思い、あやめは清介にそれについて聞いた。
「それは…やつらがあやめ殿を気絶させたからで」
「じゃあなんでお前までここにいるんだ」
清介が微かに笑う音が聞こえた。
「降伏したからだな」
あやめが気絶してすぐに両手を挙げて降伏する清介。無抵抗に縄で縛られ、そのまま目隠し付きでここまで連れて来られる。そんな情けない図があやめの脳裏に浮かんだ。
「お前は…抵抗ってものをしろ…」
「そう言われてもあやめ殿は伸びてて、それがしは掃除をしていたから帯刀してなかった。刀を持った二人組に抵抗するには素手では無理だろう」
「だからってあっさり降伏するか?」
「それがしを殺すことが目的でも物取りが目的でもなさそうだった。それならば捕まってもすぐに殺しはしないだろう」
清介が快活に笑っていると、扉が開いて真っ暗な部屋に眩しいぐらいの光がさした。光のせいで顔が判別できなかったが先ほどの男の一人なようだ。
「そこの二人、来い」
二人は足だけ自由になって大人しく男の後をついて行った。
連れて行かれた先は床の間に高そうな掛軸の掛かった二十畳ほどの部屋だった。二人が入ってきた方とは逆側に女が座っていて、その周りを十人ほどの男が固めている。
ここまで連れてきた男が二人を無理やり座らせてから女に一礼して出て行った。
女は清介だけを見て笑った。
「橘清介、どうして連れて来られたのか検討はついているだろう?」
「それがしには検討もつかぬ。できればお教え願えるか?」
清介も微笑み返した。
「よろしい。これはただの交渉だ。そちが妾の頼みを聞いてくれるのならば、そこの女は無傷で帰してやろう」
交渉という名の脅しを右から左に聞き流して、あやめは周りを見回した。どこの扉にも男が一人はいて、争うには丸腰のこちらが不利な刀を帯びている。
「頼みというのは?」
「そちが妾の用心棒になることだ。来てくれるのならば褒美もやろう。多くの藩が欲しがるそちの力をここで使ってくれるか?」
清介は口元だけで笑った。女はそれを肯定ととったのか、男に言って縄をほどき、一本の刀を清介に渡した。
「お前の新しい刀だ。名は…」
「名などいらぬ。刀は刀だ。それ以外の何物でもない」
清介が言ったことがよっぽど面白かったのか女は大声で笑った。
清介は左手で刀を持つとおもむろに立ち上がった。女の左側にいた男が大声で静止を促した。
「それがしはもう帰らせていただこう。この刀は餞別代わりにでもしておこうか」
「何を言い出すのかと思えば…。そんな簡単に帰すと思ってるのか!?」
女は激しい口調で問いただしたが、清介はそれを無視してあやめを立ち上がらせ、出口に向かった。
さっきの男が素早く立ち上げると刀を抜いて背後から清介に切りかかった。清介は左で鞘を持ちながら右手で刀を少しだけ抜いて振り返りもせずにそれを受けた。
「背後から切りかかるとは侍としてなってないな。来るなら正面から来い」
そう言うと振り向いて、刀を鞘に収めたまま首筋を叩き、男を気絶させた。
相手の強さに怖じけづいたが女の渇が飛び、残りの男たちも抜刀して切りかかって来た。それを右に左に避けながら清介はあやめを部屋の外に出して縄を切った。
「あやめ殿、しばらくそこで待てるか?すぐに終わらせる」
あやめが首を縦に振ると清介は踵をかえして背後から迫ってきた男の刀を防ぎ、鞘のまま横なぎにはらった。その男は壁まで吹っ飛んだが気絶はしなかったようだ。
清介はその様子を、他を相手にしながら見ていた。男が立ち上がって向かってくると多少眉をひそためた。
「これぐらいでは倒れてくれぬのか…。致し方ない」
左手で鞘を持つと刀を引き抜いた。鞘を投げ捨てて、手負いの男に向き直り、振り下ろされた刀を避けた。姿勢を低くして、再度刀を振り下ろそうとした男の右肩を貫いた。男は刀を落とし、肩を押さえてうめいた。
「死にはしない。退いてくれるならば怪我人もこれ以上出さないと保証しよう」
無表情の奥に隠された殺気を感じて男たちは一歩づつ退いたが、女は逆上してわめきだした。
「何をしておる!!さっさとそやつを切り捨てぬか!!」
しかしもう誰も女に従う者はいなかった。
清介は無表情のまま素早く女の前まで来て刀を振り下ろした。刀は女の頭に当たる直前で止まった。ため息をついてから清介は鞘を拾い上げ、刀を収めた。
女は恐怖のあまり目に涙を浮かべて震えていた。
清介はもう一度ため息をつくと困った顔を浮かべた。
「そんなに恐ろしいと思うのならばそがしには関わるな。それがしには気ままな生活の方があっている」
そう言うとあやめのところまで来てから振り返った。
「それでは失礼する」
清介はその場に刀を静かに置いてあやめを連れて帰っていった。
「あやめ殿と女将さんには大変迷惑をかけた」
帰ってきて早々、清介は深々と頭を下げた。女将さんはそれを見て苦笑した。
「いいさ。わかっていたことだ」
清介が怪訝な顔をすると女将さんは笑った。
「名前を聞いた時からわかってたんだ。どこの藩でも喉から手が出るほど欲しがる最強の侍。それゆえに人拐いにあったことも数知れず、そのあらくれ者たちから逃れるためにひとところに定住しない無名の侍橘清介」
無名の侍と呼ばれた本人は目を細めて少し悲しそうな顔をした。
「別にあんたをいじめてるわけじゃないんだからそんな顔しないでおくれよ。ここには居たいだけ居ていいと言ったじゃないか」
それでも清介は悲しそうに首を振った。
「それがしはもうここを発とうと思う。本当に短い間だったが世話になった」
そう言うと自分の刀を持って立ち上がった。清介をひき止めようとするあやめを片手で制して、女将さんは清介に聞いた。
「次はどこへ行く気なんだ?」
「分からないな。それがしは気の向くままに旅するだけだ」
これは…完全に俺の趣味です。誰にも書けといわれていません。江戸を舞台に強い侍の話が書きたいという俺の独断と偏見によって書かれました。
この際口調についてはつっこまないでいただきたい。かなりてきとうですから。
これをシリーズ化したいというめずらしい人がいたらご一報ください。これならシリーズ化できそうな気がする。
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