色のないクレヨン
〈十二年前〉 「朔!そんなところにいないであなたもこっちに来なさい!」 母さんが騒がしく呼んでいた。お絵描きをしていた手を止めて、僕は仕方なく呼ばれた方へと歩いていった。 母さんの向かいに知らないやつらがいっぱいいて、思わず母さんの背中に隠れた。 「もう…朔ったら本当に人見知りね。せっかくお友達連れてきたんだから、隠れてないで一緒に遊びなさい」 ため息をついて、母さんが仕方なさそうに笑っていた。知らない人だけれど、母さんが笑っているから、顔を出した。 お友達、なんて言われたけれど、目の前にいるのは全く知らない人だった。まだ僕の友達でもなんでもない。 同い年ぐらいの、少し元気な男の子と、顔いっぱいに笑顔を浮かべた女の子。 「名前なんて言うの?わたし茉莉っていうの」 眩しいぐらいの笑顔に、また母さんの後ろに隠れたくなった。けれど、勇気を出して、喋る。 「朔…」 「さくくんね!こっちの子はゆうたくんっていうの」 まだ名乗りもしていない男の子が、茉莉の声に合わせて頷いた。 「お母さんが遊べって言うから、遊んでやる!」 「ゆうたくん、お友達なんだから仲良く遊ぼうよ」 茉莉の言葉にパッと顔を上げて、頷いた。気づかないうちに笑顔になっていた。 「さくくん!こっちで遊ぼう!」 「さく!あんまりとろいとおいてくぞ!」 言いながら走りだした茉莉と雄太に、慌てて、母さんの背中から飛び出して、その後を追った。追いかけっこのように、僕が追い付くのを待ちながら走り続ける二人に、負けないように、いつの間にか必死に走っている。 「朔ちゃん可愛いわね」 「人見知りが酷くて困っちゃうわ」 母さんと、雄太のお母さんが笑う声が聞こえたけれど、新しく友達ができたことが嬉しくて聞き流していた。 〈九年前〉 「今日からは、一緒に遊ばないからな!」 雄太のそんな言葉を聞いて、茉莉は呆然としていた。言われたことがやっと分かったのかゆっくりと口を開く。 「なんでよ!今まで一緒に遊んでたじゃない!」 「そうだけど、俺と朔は男で、茉莉は女だろ!男と女が一緒に遊んでたらおかしいだろ!」 ずっと前に出会って、小学校に入ってからもずっと一緒に遊んでいたが、男女というものを意識しはじめたのがこの頃だったのだと思う。 少しだけボーっとしているところのあった僕は、この時も雄太と茉莉の言い合いをただ聞いていた。一応意味は分かっていた。でも茉莉のはっきりとした物言いや昔から知っているということから、男女という区別を意識はしていなかった。 ただひたすら、この喧嘩がすぐに終わって、中断してしまった遊びが再開するのを待っていた。 だから、こうなるとは全く考えていなかったのだろう。 「そう!じゃあ今日からはみっちゃんたちと遊ぶから!」 「そうしろ!ここにいていいのは男だけだ!」 そのまま雄太と茉莉が喧嘩をして、それ以来遊ばなくなってしまった。 もしかしたら明日は、明後日は、と考えていたが、本当にそのままぱったりと茉莉とは遊ばなくなっていた。気がつけば雄太と二人、たまに他の男子も混ぜて遊んだが、学校で喋っても茉莉と遊ぶことはなかった。 〈五年前〉 「朔くん!」 中学の入学式、懐かしい声に呼びとめられて振り返った。 桜吹雪が舞う中、黒いセーラー服を着た女の子が立っていた。笑顔を浮かべた表情は昔と変わらず、とても眩しかった。 「茉莉ちゃん…?」 六年になって違うクラスになり、顔を見ることもほとんどなかったから、一年ぶりだった。いや、運動会などでチラッとは見ていたと思う。けれどあの時とは印象が全く変わっていた。 黒いセーラー服が小学生の時よりも、彼女をずっと大人っぽくしていた。その姿に思わずボーっと見とれてしまった。 「やっぱり朔くんだ!久しぶり!」 「あ、うん」 「今日から中学生だね!同じクラスになったら、よろしくね!」 「うん…」 彼女が喋り続ける言葉に返事はしていたものの、ほとんど頭に入っていなかった。それほどまでに彼女は綺麗になっていた。 この時からだったのだと思う。 〈今〉 結局、茉莉とは同じクラスになることもなく、中学を卒業した。 高校は、僕と雄太は同じ学校を選んだが、茉莉は一人だけ違う学校へと進学した。それからもう二年になろうとしている。話す機会は全くない。 「朔ー、お前辞書持ってない?」 「電子辞書なら学校鞄の中だから、勝手に使っていいよ」 昔と変わらず仲のいい雄太が、家に遊びに来ていた。しょっちゅう遊びに来るものだから、俺と雄太の家での扱いはほとんど変わらない。 手にしていたシャープペンの芯のケースをいじりながら、窓を開けて窓枠に腕をついていた。後ろからは雄太がガリガリとノートを埋めている音がする。今日出された英語の課題でもしているのだろう。 とてもやる気になれずに窓の外へと視線をやった。春のうららかな日。寒くもなく暑くもなく過ごしやすい。 このまま昼寝でもしてやろうかと、目を瞑ると、思いついたように雄太が喋り出した。 「そういえば知ってるか、朔。茉莉のやつ、高校入って彼氏出来たんだってよ。なんかこのまま高校卒業したら結婚しそうな勢いらしいぜ」 邪気のない雄太の声。 窓から片腕を投げ出して、手にしていたケースを開けると、逆さまになったケースから、シャープペンの芯がザラザラと地面に落ちた。 「そうなんだ…」 返事をして、投げ出した腕を戻す。 ケースの中から、カラ、という小さな音が聞こえて、目の前に掲げると、開いたままのケースの中に落ち損ねた芯が一本だけ入っていた。 「なあ、朔は大学とかどうすんの?」 「まだ決めてない」 「だよなー」 身体を起こして、雄太の方を向いた。必死で課題をやっている雄太はこちらを見ていない。 「雄太、シャー芯残り一本なんだけど、いらない?」 「おー、いるいる!丁度今なくなったところ!」 そう言って、雄太は笑顔で一本だけ芯の残ったケースを受け取った。今使っているシャープペンに芯を詰め込んで、また課題に取りかかる。 必死にノートに齧りついている雄太の姿が、十年前、紙いっぱいにクレヨンを走らせていた無邪気な雄太の姿と重なって見えた。 色とりどりだったクレヨンも今は黒一色になって、意味のある文字を綴っていく。 友情以上恋愛未満の複雑な心をお届けいたしました。何がしたかったのか…。数年前に思いついてそのまま温めておいたのですが、気が向いたこの隙にと書き綴ってみました。 朔はこのあと普通に恋愛をして結婚をして、数年後に茉莉と再会した時にこれをネタに笑っていると思います。 |