護法之書
第一話 昔々、まだ徳川幕府が日本を統治していた頃の事。立派な作りの屋敷に見知らぬ人がやってきた。 その屋敷の主人は明らかに日本人でない客人にいぶかしみながらも屋敷に入るよう勧めた。しかし、客人は勧めを丁寧に断って言った。 「私は 客人は懐から一冊の本を取り出した。 「この本を貴殿に差し上げます。貴殿の子孫にこれを必要とする者が必ず現れるでしょうからそれまでお持ちください」 そこまで言うと客人は主人に本を託し帰ってしまった。 主人は本を開いた。そこにはこの国の文字が記してあったが、なぜか主人には読むことができなかった。 主人はその本をとりあえず倉にしまったが、誰にもそれを伝えることなくこの世を去ってしまった。 時は廻り明治後期、三歳になろうかという幼い少年が一人その倉の中にいた。親に叱られ倉の中に閉じ込められてしまったのだろう。床に座りこんで泣きじゃくっていた。 少年は突然、怯えたように後ろを振り返り、何かから逃げるようにパタパタと倉の奥へと入りこんで行った。 倉の奥で少年は一冊の本を見つけ、手に取った。それはこの少年の祖先が見知らぬ男から受け取ったあの本だった。少年は本を開いて最初の部分を声に出して読んだ。 「 幼い少年の名前は藤原…。 「おい、吉綱。何寝てんだ。起きろ。お前に手紙が届いてるぞ」 「…あれ?今寝てたか?」 「何寝ぼけてんだよ。イビキかいて寝てただろう」 椅子に座り直して吉綱は眠気をとるために自分の顔を軽く叩いた。どうにもあまりにも暇だったので椅子に座ったままうたた寝していたらしい。それにしても随分懐かしい夢を見た気がする。三歳ぐらいの時のことだろうか。あの頃は一人の時でもよく近くに常に誰かがいる気配を感じたものだった。 吉綱が回想にふけっていると彼を起こした小柄な男が目の前に手紙をつきだした。 「あぁ。忘れかけてた」 そう言うと男から手紙を受け取り、ペーパーナイフで封筒を切った。便箋を取り出して素早く目を通す。達筆で細い女の筆跡だった。 読み終わった手紙を男の方に投げると吉綱は言った。 「セイ、仕事だ。行くぞ」 「今から?もう日が暮れるのに?」 「暮れてくれた方が仕事に好都合」 軽く言い放つと吉綱はかけてあったコートを羽織ってセイが来るのも確かめずに外に出た。ぶつくさ文句を言いつつセイも羽織を持って吉綱について行く。 吉綱が徒歩で門を出ようとするのでセイは驚いた。 「おい!自動車は?」 「自動車で行くと目立つから今日は徒歩。そんなに遠くないから」 「近いんだったら明日でもいいだろう?」 「向こうが出来るだけ早く来いと言ってるから。それと出来るだけ目立たないようにとも書いてあった。お客様第一主義。それが我が社のモットーです」 「我が超常現象解明局は俺とお前の二人だけだから会社とは言えないと思いますよ社長」 「…だったらわざとらしく社長って呼ぶなよ…」 「それは失礼♪」 「……」 二十分近く歩いてやっと依頼人の家に到着した。それは西洋風の佇まいの立派な屋敷だった。 「でかい…」 「そうか?民家よりは多少大きいかもしれないけどそんなに大きい方ではないぞ」 セイが感嘆している横で吉綱が暢気な声で言った。そんな吉綱を横目にセイは誰にも聞こえない程度の声で呟いた。 「これだから坊っちゃんは…」 吉綱の実家である藤原家は相当な金持ちだ。特に吉綱の父は自分の代で財産を倍にしたと言っても過言でないほど経営力を持っていた。そして家を継ぐ必要のない吉綱は解明局の資金を父にもらい自分は大して苦労もせずに生活しているのだ。 「セイ、何ぼーっとしてるんだ。呼鈴鳴らすぞ」 「ん?あ、あぁ」 吉綱が呼鈴を鳴らすとすぐに女中が扉を開けた。 「何か御用でしょうか?」 女中が不信そうな顔で二人を眺めた。人のよさそうな笑みを浮かべた薄茶色のコートの男と男にしては小柄すぎる黒っぽい羽織に袴の人が日が暮れる直前に来たら当然の反応だろう。 「超常現象解明局の者ですが」 お嬢様がお呼びになられた方ですね。どうぞ。こちらです」 吉綱とセイは女中に連れられて玄関脇にある 「どうした?」 「多分気のせいだ」 前を進んでいた女中が二人がついてきていないことに気づき振り返った。 「どうかなさいましたか?」 「庭に綺麗な真紅の椿が咲いているので立ち止まっ見入っていたんですよ」 「あの椿は奥様が丹精込めて育てていらっしゃる物です。この時期になると見事な花を咲かせているんです」 セイが物言いたそうに吉綱の方を見た。吉綱はそれに対してただ笑っただけだった。 「そういえば今年は例年より花が赤くなっていらっしゃいますわ。いつもは桃色になりますのに…」 「今年の天気の影響ですよ。まだ雪が降ってませんから」 吉綱が軽く笑うと、女中は顔を赤らめた。 またかよ…。セイは呆れ果てていた。吉綱とこの仕事を初めてから仕事関係の女性が何人吉綱に惚れて告白してきたか分からない。重症だと家まで押しかけてくるから大変だ。 セイが哀れむ目で見ているのを女中が気がついた。 「どうかなさいましたか?」 「いや。なんでも。ところで依頼人の部屋はどこですか?」 「そこの突き当たりですが…」 「じゃあ俺はここで。調査のためにを少し歩き回りたいのですがよろしいですか?」 「え?あ、はい」 そんなセイに吉綱は背を屈めて耳打ちした。 「おい。依頼人の話聞かなくていいのか?」 「警護の必要がありそうだ。奥の部屋まで行ってたら素早く反応できなくなる。そっちは任せた」 「…分かった」 女中が吉綱を依頼人の部屋まで案内しようと先に進んだ。吉綱は心配そうにセイの方を見る。セイは懐から黒い 「じゃあ行くかな」 誰に言うでもなく一言発してセイは扇を片手に来た道を戻って行った。 廊下の突き当たりまでやってきた吉綱たちは扉をノックして中から返事があるのを待っていた。 「どうぞ」 中から若い女の声がした。女中は扉を開けて吉綱を部屋へ通すと自分はそのまま出て行った。 依頼人は長い髪を一つに結び、椅子に腰かけていた。端整な顔も今は青白くなり、肌のはりも失われているようだった。 「超常現象解明局の者です。貴女が依頼主の瀬田様ですね?」 「はい。捕まえて私の前に現れないようにして頂きたい者があるのです」 「それはなんですか?」 依頼人は躊躇うような素振りを見せていたが、決意を固めたらしく吉綱の顔をまっすぐに見た。 「…こんなことを言ったら頭がおかしいのかと思われるでしょうが…… 「鬼女ですか…。その鬼女が一体どうしたというのですか?」 「鬼女が出たというだけで大変なことでしょう!?」 「あ…失礼いたしました。こういう仕事をしていると鬼女が出ただけでは動じなくなってしまうのですよ」 「はぁ。一昨日の夜、ふと窓の外を眺めた時、庭に髪をふり乱した女性がいたのです。よく見ると頭の上に二つ白っぽい突起があるのが見えたのです。私が見ていたらその女性が振り返って私を睨んだのです」 「どこですか?その鬼女がいたのは」 瀬田は吉綱を窓の方に連れて行った。窓からはさっきの真っ赤な椿が見えた。 「その椿の右側に立っていたんです。」 今そこには椿以外に何もなかった。しかし近くの塀の所に何か小さすぎて見えないものがあるようだ。 その時、吉綱は視線を感じ、振り返った。わずかに扉が開いていたが扉の外には誰もいなかった。その視線は憎悪に似たものを感じたのだが気のせいだろうか。 「私はこれで失礼します。屋敷と外をちょっと見てから帰らせていただきます」 「今日は何もせずに帰られるのですか?また鬼女が出たらどうするのですか?」 「多分明日は出ませんよ」 そういうと吉綱はにっこり笑って部屋から出て行った。 扉を出て少し進んだところに来た時とは違う女中がいた。 「玄関まで案内いたします」 「その前に連れに会いたいのですが」 「別の部屋でお待ちです」 女中は吉綱を階段近くの一室に連れて行った。依頼人の部屋よりさっぱりとしたこの部屋は普段余り使われていないのだろう。その部屋にセイの姿はなかった。 「セイは…?」 「おりません。邪魔者は一人ずつ消していくのが楽なので」 かすかな音とともに扉が閉まり、鍵がかけられた。 女中はまとめていた髪を解いて殺意のこもった眼差しで吉綱を見た。女中の頭には二つのしろっぽい突起がかすかに見えている。 「お前が件の鬼女か…!」 鬼女は手に懐剣を持って吉綱に襲いかかった。吉綱は懐剣を避けると鬼女の足を払った。鬼女が倒れている間に吉綱は扉へと走り、扉を開けて外に出ようとした。が、吉綱が鍵を開けようとしても鍵は全く回らず、それどころか触るとバチバチと火花が散るような音を立てた。 「結界か…!!」 吉綱が扉を開けようと必死になっているところへ鬼女が立ち上がって再び襲いかかってきた。吉綱は避けることに必死で後ろにあった椅子に気がつかなかった。吉綱が一歩下がろうとしたら、後ろにあった椅子に引っ掛かり椅子ごと吉綱は横倒しになった。 鬼女が吉綱の襟元を掴み、喉下に懐剣をつきたてようとした。吉綱は必死で鬼女の右腕を掴み懐剣を押しとどめた。しかし、鬼女の力は普通の女のものより強くこの状態が長引けば吉綱は殺されてしまうだろう。 「何してるんだセイ…」 吉綱が小さくつぶやいた瞬間、すさまじい破裂音とともに扉が外側から破られた。 「呼んだ?」 セイが気楽に笑った。鬼女は突然の乱入に驚きつつ、標的をセイに変えて襲いかかった。セイは右手に持った扇で鬼女の懐剣を受け止め、鬼女ごと左に流すと鬼女の背中に扇で一撃加えた。扇がわずかにかけた。 「何こんなのに手こずってるんだよ」 セイが吉綱に文句を言ったが吉綱は聞く耳を持たず呪術をとなえだした。 「緩くともよもやゆるさず縛り縄、不動の心あるに限らん」 「オン、ビシビシカラカラ、シバリソワカ」 吉綱からあふれ出た力が呪術の鎖を化して暴れていた鬼女を縛り上げる。 「不動金縛りか…」 セイが静かにつぶやいた。それに吉綱は微笑んで答えるとさらに手の印を変えてとなえた。 「アビラウンケン」 白い煙のようなものが鬼女を包み込んだ。煙が消えたときには女中の頭から角はなくなっていた。 「扇がかけた…」 セイがぶつくさと言った。 「しょうがないだろ。相手は剣だったんだから」 「廃刀令さえなければ…」 「それより扇大丈夫か?使い物にならなくなったりしてないか?」 「中の鉄は大丈夫だろうが外はダメだな」 セイの扇はただの扇ではなく鉄扇に近いものだった。中心に鉄を仕込んだだけの見た目はただの木の扇だ。 「帰るか?依頼完了したし」 「ちょっと待て。気になることがあるんだ」 吉綱とセイは庭の椿のところにやってきた。 吉綱が塀に手を触れ、何かをつまんだ。それはわずかに邪気を感じさせるものだった。 「それ紙か?」 「そうだろうけど、ただの紙じゃない」 紙は吉綱が何かつぶやくとヒビが入って割れ、砂になった。 「もうこんな時間か」 月はすでに高く上っていた。 吉綱たちのいる屋敷から少し離れた建物の屋根の上に一人の男が座っていた。男は風に流されている髪を邪魔そうにかき上げた。 「護法之書に選ばれた者でも所詮この程度なのか」 男は立ち上がると伸びをしてどこかに消えてしまった。 |