護法之書
第二話 「よし…」 名前を呼ぼうとして途中でやめた。 事務所として使っている部屋の扉をセイが開けたとき、吉綱は背を向けて何かをしていた。目を閉じて印を組み、注意して聞かないと聞こえないぐらいの声でブツブツと言っている。その足元には 吉綱の邪魔をしては悪いと思い、セイは壁によりかかり事の成り行きを見守ることにした。 そのうち白墨の円を中心に風が渦巻きだした。春とはいえ、まだ肌寒さが残っているので窓は閉め切ってある。それなのに風は徐々に強まって円の外から中へ吸い込まれていく。やがて円の中だけで風が渦巻くという状態になった。 吉綱が印を変え、さらに唱えた。 風がさらに強まり、円の中が全く見えなくなった。 「アビラウンケン」 渦巻いていた風がさっと消え失せた。毛が置かれていたはずの場所にはそれに代わりに全身が白い狐が一匹、こちらを見てうなっていた。 「 セイがつぶやくと吉綱が気づいた。 「なんだ。いたのか。なら声かければいいのに」 「気がつかなかったのはどっちだ。それよりその狐ほっといていいのか?」 「円は結界だからほっといてもいいけど、早く片付けるべきかな」 吉綱が向き直り外縛印を 内縛印から 「抵抗しないほうがいい。暴れればもっときつく縛ることになる。俺の言葉は分かるだろう?お前が否と言うのならばすぐに帰そう」 白狐は暴れるのをやめて吉綱をじっと見つめた。吉綱が次に何を言うか様子を見ているようなしぐさだった。 「帰すといってももといた山には帰せない。あの山はすぐに失われる。もっといい住処を紹介する。でもその前に考えてくれないか?新しい住処に行く道でなく俺の 白狐はじっと吉綱の目を見た。そして首を縦に振った。そのしぐさを見て吉綱はうれしそうに言った。 「よし!じゃあ名前は…巫女が儀式の時に使う枝からとって 『セイ、新しく私の式になった梓よ。梓、セイに挨拶して』 あるはずのない声が聞こえた気がした。とても懐かしい、今は聞くことのできない声が。それはただの記憶で、吉綱の言葉がきっかけになって今更思い出したのだろうがとても心に響いた。そして同時に悲しみがわき上がってくるのが分かった。 「セイ?おい、セイ返事をしろ」 呼んでも返事をせず遠くを見ているようなセイに吉綱が心配そうに声をかけた。白狐、梓は白墨の円の外に出て吉綱に寄り添うように立っていた。 「あ、呼んでたのか…?」 「何回も呼んだ。正式に紹介するよ。俺の式神、白狐の梓だ」 「分かった…」 「どうかしたのか?言葉に 「いや、なんでもない。気にするな。それより式神にするのはいいが白狐なんてつれて歩いたら目立ってしょうがないだろう?」 「だからこそ白狐なんだ。梓、化けられるか?」 梓は一瞬で万年筆に化けてみせた。吉綱は満足そうに笑って胸のポケットにそれをつっこんだ。 「なるほど…そういくか…」 「ちゃんと考えてやってるんだから当たり前だ。それよりそろそろ出かけぞ」 「出かける?どこに?仕事は今入ってなかっただろう?」 「父さんが買い物を頼んできたんだ。どうせ暇だろ?」 吉綱は言い終わると置いてあった帽子を手に取って被った。セイもため息をつきながら薄手の羽織を持って吉綱とともに部屋を後にした。 ギアをバックにして自動車を駐車する。白っぽい自動車の運転席から吉綱が、助手席からはセイが出て来た。吉綱が帽子を被りなおしているとセイが怪訝そうに聞いてきた。 「ここはどこだ…?」 「日本橋」 少し歩くと目的の店に着いた。セイは店の外で吉綱を待つことにして通りを眺めていた。和服を着た女性や小さな子供、吉綱と同じような洋服を着た男性などいろんな人がレンガ造りの建物を出たり入ったりしていた。江戸時代の趣など全く残っていない町並み。日本人が西洋人のまねなどして何の意味があるのだろうかと思っていたら後ろから肩を叩かれた。 「何やってるんだ?」 吉綱がそう言ったのは肩を叩いたらセイがすばやく振り返り構えの姿勢をとったからだった。 「吉綱か…驚かすな。誰かと思った」 「他に誰が話しかけるんだよ。その背丈から子供かと誤解した警官ならありかもしれないけど」 セイが吉綱のことを見上げ思い切りにらんだ。年齢は二人とも同じ二十歳だが身長差が20センチ以上あり、二人が並ぶと子供と大人が並んでいるようになるのだ。 「で、何買ってきたんだ?親父さんに頼まれたって言っていたが」 「ああ。これこれ」 吉綱が袋を開けて中身を取り出した。インク壷とペンが一本。それを見てセイが渋い顔をした。 「それ買うためだけにわざわざ日本橋まで…?」 「そう。ここのインクとペンがいいんだと」 「そのためだけに息子使ってわざわざこんなとこまで…?」 「あの人だからね」 「金持ちの道楽だー!!」 吉綱はセイの言葉に苦笑いした。 その時晴れていたはずの空に影が差した。周囲の人々がざわめく。 「何だあれ!!」 「鳥か?」 「 「いや、 「あんな鳥見たことないぞ!!」 吉綱とセイが空を見た。色は分からないが確かに鳥がいる。梟のような姿をしているが足は片方しかない。 セイが舌打ちして鳥が向かっている方向に走り出した。吉綱がセイを追いかけて、手をつかんで止める。 「セイ!!何をしてるんだ!あの鳥はなんなんだ?」 「 「そんなもの読んでるやつのほうがまれだ」 セイがもう一度舌打ちして淡々と言った。 「その状は梟のようで一つの足、いのこの尾、その名は 「それがどうかしたのか?」 「これが現れると……その国に疫病はやる」 青い顔をした吉綱をおいてセイが再び走り出した。しかしほとんど進まないうちに肩をつかまれた。 「待て。追いかけるならこっちのほうが早い」 吉綱がセイを引っ張って逆方向に走り出した。 「鳥は…跂踵はどこだ」 「左上にいる。西の方角だ」 吉綱の自動車で二人は跂踵を追っていた。ギリギリ捕まらないの速度で追っていくうちに跂踵は山のほうへ山のほうへ進み、建物は一つも見られなくなっていた。 「一体どこまで行くんだ?」 「そう遠くはない。徐々に高度が下がってきた」 セイが言ったとおり跂踵は徐々に高度を下げ、運転している吉綱の目にもそれを捉えることができるようになった。そのうちに木の陰に入って全く見えなくなった。 「これ以上自動車で追うのは無理だ。おりるぞ」 自動車を止めて二人は鳥が消えた方向に走って行った。 しばらく行くと開けた場所に出た。鳥は地上から数メートル上を低空飛行している。 「あれじゃ扇は届かない。吉綱任せた」 セイが扇を取り出した。どうやってもこの距離では届かないだろう。吉綱がすばやく 「 「吉綱!!」 セイが叫んだ時、吉綱の胸ポケットに差してあった万年筆が白狐の姿に戻った。 「梓!」 梓は吉綱の前に立ち、跂踵に向かって火をふいた。跂踵は火に阻まれて動きを止める。 「 セイが跂踵を後ろから扇で叩き落した。とどめを刺そうとするセイを吉綱が止めて跂踵に語りかけた。 「跂踵、ここはお前のいるべきところじゃない。もといたところに戻ってくれるか?戻ってくれるならとどめは刺さない」 吉綱の優しげな言葉が理解できたのか跂踵は立ち上がり首を縦に振った。跂踵が飛び立とうとすると、どこかから短剣が飛んできて跂踵の首を落とした。あたりが血で染まる。 「き、しょう…」 吉綱が呆然とつぶやいた。その声に重なるようにして笑い声が響いた。 「悪い。殺しちゃまずかった?」 体重を感じさせない身のこなしで洋装の男が現れた。肩につかないぐらいの長さのざんばら髪で身長は吉綱と同じくらい。その男が笑いながら近寄ってきて跂踵の翼を無造作につかみ、遠くに投げた。 「…!!何するんだ!」 「役に立たなかったから始末しただけだよ。何をそんなに怒ってるんだ」 笑っている男にまっずぐ扇を向けてセイが低く聞いた。 「お前、何者だ」 「 男は髪をかき上げて見せた。額に2本、前髪に隠れるようにして角があった。 「お前鬼か!!」 「ご名答。本当に期待を裏切ってくれるよ。この前 「あの鬼女もお前が!!」 「そう言ってるだろう」 セイが扇を横なぎにはらった。男は足を一歩引いてそれを避ける。 「弱くて面白くないな」 「ノウマク・サンマンダ・バサラ・ダンカン!!」 「そんなに熱くなるなよ。まだあの方から許可が出てないんだ。お前らと直接戦うわけにはいかないんだ」 「あの方…?」 「そう、我らをまとめ願望を成就させるお方のために俺は働いてるんだよ」 「お前らは一体何なんだ」 「強いて言うならば セイが踏み込んで扇をはらう。しかし扇は空を切り、男はさらに遠くに立っていた。 「そんなに熱くなるなって。急がなくてもいずれ戦うことになるんだからさ。護法の遣い、制多迦」 セイが素早く扇をとじて投げた。暁は軽く笑うと扇が届く直前で消え失せた。扇はむなしく男が立っていた後ろの桜の木に当たり花びらを散らせていた。セイが舌打ちする。 「神仏分離…やつらは 「廃仏毀釈…」 「明治元年に新政府が発した 「それは知ってる。でもなんでそんなこと…」 吉綱がうつむいてつぶやくと梓が足にすりよって心配そうに鳴いた。 「さぁ、俺はやつらじゃないから分からないな。唯ひとつ言える事は…」 セイが遠くを見て静かに言った。 「疫病が流行るより俺たちにとっては厄介なことが起きるだろうな」 |