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護法之書
第三話(上)


「なぁ…」
 吉綱が本をパラパラとめくりながらセイに話しかけた。
「暁が言っていた護法の遣いってなんだ?あと制多迦とも言っていたけど…」
 セイは眉を寄せて不機嫌そうに一言言っただけだった。
「気にするな」
 こんなセイにこれ以上何を言っても無駄だと思い吉綱はまた本を読み出した。セイは不機嫌そうな顔のまま椅子に座り目をつぶっていた。
 それから一時間ほど経った頃だろうか。誰かが超常現象解明局の呼び鈴を鳴らした。その音を聞いて吉綱は読んでいた本を閉じ、玄関に向かった。
 玄関の扉を開けるとそこには僧侶風の男がいた。身長は吉綱より小さく、濃い茶色の瞳と僧侶らしからぬ同色でふさふさとした髪を持っていた。袈裟に似た服も色は浅葱(あさぎ)色で、藍色の太い腰帯を巻いている。その下には生成りの袖の広がった中国の民族衣装のようなものを着ていた。
 男は笑顔で吉綱に言った。
「藤原吉綱殿ですね?」
「そうですが…ご依頼ですか?」
 吉綱が不思議そうに問うと男は笑顔のまま首を傾けおかしいなとでも言うような仕草をした。
 その時、白狐の梓が走ってきて吉綱の足に擦り寄ってきた。そのすぐ後をセイが追ってきた。たぶん吉綱を追おうとする梓をセイが必死に止めていたが、不意をついて梓が逃げ出したのだろう。梓の輝いている目と息を切らしているセイがそれを物語っていた。
 梓のことを吉綱がしかろうとしたが、男とセイの行動に驚きそんなことをしている暇はなかった。
 セイは男を見た途端、きびすを返して逃げ出そうとしたが、その前に男がセイの頭をがっちりと掴んで無理やり目線を合わせた。
「どういうことですか?吉綱殿になぜ伝わっていないんです?説明を求めますよ制多迦」
 表情はあくまで笑顔だがその声は明らかに怒っていて、その場にいる人すべての身をすくませた。初対面ではなさそうな二人に吉綱は戸惑い、足元の梓をなでながらその場の成り行きを見守った。
「合流するとは思ってなかったんだ。だから伝える必要はないと…」
 今すぐ逃げ出しそうなセイはなんとかそれだけ言ったが、男はセイを放すつもりはないようだった。
「そんな言い訳、説明にはなりません。つまり何も伝えていないんですね?」
 男のたたみかけるような言い方に恐縮してセイは首を縦に激しく振った。男はため息をつくとセイの頭を放し、吉綱に向き直った。
「不動明王はご存知ですね?」
「あ、はい。仏教の神の一人で菩薩(ぼさつ)の教えを学ぼうとしない人々を圧倒的な力で導くものだった気がしますが…」
「まぁそんなところですね。その不動明王の眷属(けんぞく)に、明王の功徳(こうとく)顕現(けんげん)させた八大童子(はちだいどうじ)という者があります。その名の通り、慧光(えこう)慧喜(えき)阿耨達(あのくだつ)指徳(しとく)烏倶婆哦(うくばが)清浄比丘(しょうじょうびく)矜羯羅(こんがら)、制多迦の八人の鬼神(きじん)です」
「制多迦…」
 小さくつぶやいてセイのほうを見た。セイは苦虫を潰したような顔をしていた。
「それがどうかしたんですか?今回のご依頼に関係が?」
「依頼に来たのではありません」
 男が笑顔で頭を下げた。
「申し遅れました。その不動八大童子、第六番目の福徳行(ふくとくこう)を司る清浄比丘と申します」
 吉綱が疑うような目線を清浄に向けた。
「信じていらっしゃらないようですね。まあいいですよ。それにしても…」
 セイを見て清浄比丘と名乗った男は笑い出した。
「清浄!!何笑ってんだ!!」
「…いや。本来の姿との差が大きすぎるので…。特にその小ささが…」
 清浄は笑いをこらえてなんとかそこまで言い切った。しかしすぐにまた笑い出し、セイがより不機嫌になっていく。そこに擦り寄ってくる梓をなでながら吉綱が割って入った。
「清浄比丘…さん?」
「清浄でいいですよ。それに硬い話し方をしなくて結構です」
「あなたが八大童子かという問題はこの際置いておくとして、セイとは前から知り合いだったようですけど…」
 セイを顔を見合わせて、清浄が微笑んだ。
「その問題とも関わってくるんですが…お前が言いなさい」
 大きくため息をついてセイが重い口を開いた。
「俺は不動八大童子の第八、方便(ほうべん)を司っている。本当の名は制多迦」
 口をあけて呆然としている吉綱がやっと声を出した。
「セイも鬼神…?二人でグルになって俺をだまそうとしてるのか?…制多迦って言うのが本当だとすると…暁が言ってたのはお前だったのか!!」
「遅い」
 セイを無視して吉綱は続けた。
「じゃあなんでその八大童子が俺をたずねてくるんだ?」
「それは…制多迦」
 清浄にうながされセイが無視されたことに腹を立てながら言う。
「その耳かっぽじってよーく聞け。一度しか言わない。お前は童子の第八、矜羯羅の転生だ」
 きょとんとしている吉綱が口をきけるようになるまでしばらくかかった。
「え?なに?俺が童子の生まれ変わり?神は不死なんだろ?万が一その話が本当だとしてもなんで制多迦?が俺のところにいるんだよ」
「俺のことはいままでどおりセイでいい。吉綱、だんだん混乱してきてるだろう?確かに童子は不死だが、その辺の事情は長くなるから今度ゆっくり話してやる。俺がここにいるのは明王の指示で、お前の護衛みたいなもんだ。明王は二人一組で動かすのが好きだからな。二人一組といえば…清浄、相方はどうした?」
「うるさいから置いてきました。それにつれてきたらさらに混乱を呼び起こすでしょう」
「なるほど」
 ものすごく納得した様子でセイがうなずいた。
「で、明王がお前をここに来させたのにはわけがあるんだろ?」
「ええ。なにやらこちらの方で不穏な動きがあるようで。二人はもう巻き込まれているようなのでそれの応援です」
「ちょっと待て」
 吉綱が勝手に話を進める二人を止めた。
「俺はまだお前らが、いや俺もか、仏教の童子だって話、信じてないからそれが本当だという証拠を見せてくれ」
 セイと清浄は顔を見合わせた。
「吉綱…お前が呪術を学んだ本、あれの題名、護法之書だっただろ?護法には呪術という意味のほかに仏教と仏教の神々の意味があるんだぞ。それにあの本は明王が昔、この家の主人に渡したものだから。それを読めたお前がただの人間なわけないだろう」
「それは証拠にはならない」
「仕方がないですね。私の目をよく見ていてください」
 清浄が自分の右目を指差してから右手でそれを隠し、すぐにはずした。濃い茶色であったはずの瞳は今や青色に変わっていた。さらに左目も隠して両目の色を変えてみせた。
「神通力の証拠です。この目は私の神通力に応じて青に変わるんですよ」
「それは…証拠にはならないからな」
「まったく…頑固だなぁ」
 セイが困って頭をかいた。






 異空間ならではの生暖かい風がふいている。耳にかけていた髪がぱらぱらと前に落ちかかっていた。高い塀のようなところの上で片足を立てその上に頭を乗せ、物思いにふけっていた。
 その横にふわりと体重を感じさせない身のこなしで女が降り立った若草(わかくさ)色の着物に羽織を着て髪を結い上げ額から角が二本見えている。
「暁。寝てるの?それとも落ち込んでた?」
 女が笑うと暁は顔を上げてそちらを見た。
「なんで俺が落ち込んでると思うんだ。そんなわけ無いだろ、お姫さま」
「護法の遣いの件から外されちゃったからね。あの二人にずいぶん肩入れしてたみたいだし」
 暁は乾いた笑い声を立てて女に言った。
「別に肩入れしてたわけじゃないさ。もっと強くならないかと思っていただけだよ」
「そう」
 暁が立ち上がり、女の額を見た。
「お姫さま、角消せてないぞ。そんなんで大丈夫なのか?遣いの邪魔しに行くんだろ?」
 女は額の角を触って人の目には映らないようにした。
「大丈夫よ。そんなへまはしないわ。だってあの方は暁じゃなくて私を指名したのよ。そんなあの方の行為を無駄にするわけないじゃない」
「そうですか。ご主人様第一主義だって忘れてたよ、お姫さま」
 女は暁をにらんだ。
「暁、お姫さまって呼ぶのやめて。どっかの王族じゃないんだから」
 勢いをつけて塀から飛び降り、女は深い闇の中にとけていった。女の気配が完全に消えたことを確認してから暁が微笑した。
「わざと呼んでるんだから当たり前じゃないか。わがままなあんたを形容するいい呼び名だろ」
 誰もいない、何も無い空間で暁は地の果てまでも響き渡るような声を立てて笑い続けた。






「吉綱、どうしたら信じるんだ?」
「俺が信じられるだけの証拠を示すことができたら」
 吉綱、セイ、清浄は事務所の中に移動してまだ神の証拠について話し合っていた。梓はその光景に飽きてしまったらしく、吉綱の脇に寝そべって寝息を立てている。
 清浄が苦笑した。
「私がもっと日本人らしくなかったらよかったのかもしれませんが、こればかりは…。そういう意味では私でなく、指徳にでも来てもらうべきでしたかね」
 それに対してセイがすぐに反論した。
「やめろ。指徳なんか来たらそれこそ収拾がつかなくなる。まず初めはお前ぐらいじゃないとややこしくてかなわない」
「そうですか?」
 セイが首を縦に振った。そこに吉綱が割り込む。
「何かさっきからずいぶん言ってるけど他の童子は一体どんな人なんだ?」
「お!信じる気になったか?」
「そういうわけじゃないけど、かなり気になる」
 セイが難しい顔をした。
「どんな言われても…。あれは説明できないな…」
「一番人間から離れてるのは制多迦ですけどね」
「そうか?」
 清浄がうなずいた。
「人間にしたらかなりの長身で、目や髪の色がかなりありえないことになってますよ」
「それだったら烏倶婆哦の方が…」
「考え方が人間離れしてるのもあなたですよ」
 お前のほうが人間離れしてると思うとは口が裂けても言えなかった。言ったら清浄は静かに暴言を吐くか、術をかけるかするだろう。しかも笑顔ですべてやるから恐ろしい。
「そういうことにしておこう…」
「俺の質問に答える気ないだろう」
 吉綱が半眼になった。
 笑いが起きていたところにけたたましく呼び鈴が鳴った。
「梓!!」
 焦って声をかけ、変化の術で万年筆に変わった梓を胸のポケットに入れる。
「セイ!!お前が出ろ!!」
 文句を言いながらセイが玄関に向かった。その間に吉綱はグチャグチャになっていた机の上をかたづけ、本を本棚に戻し、床に落ちていたゴミを捨てた。
 少し綺麗になったところにセイが依頼人の和服を着た女性を連れて部屋に入ってきた。吉綱はソファに座り、目の前の席を依頼人に勧める。セイは吉綱の後ろに回り黙って立っていた。清浄は壁に寄りかかるようにして腕を組んでいる。依頼人は吉綱、セイ、清浄の順に会釈して、勧められた席に座った。
「どういったご依頼でしょうか?」
 吉綱が微笑を浮かべながら聞くと、依頼人は包みを取り出した。包みを解くと中から組み木の箱が出て来た。
「これは亡き祖父が残した品で、中に霊が封じてあるらしいのです。これを開けて霊を封じていただけませんか?それが祖父の遺言なのですが、専門家と呼ばれる人に頼んでも誰一人として箱を開けることすらかなわなかったのです。ここならばできるかもしれないと人づてに聞いたものですから」
「分かりました。そのご依頼請けましょう」
「ありがとうございます。箱は後日受け取りに来ます」
 そう言うと依頼人は箱を置いて出て行った。出て行くとすぐにセイは吉綱を小突いた。
「おい。そんな面倒な依頼、安請け合いしていいのかよ」
「問題ない。もし失敗してもそれくらいでつぶれないし、つぶれそうになっても親にどうにかしてもらうさ」
「…金持ち息子め…」
 セイが苦い顔をしていると今まで傍観していた清浄が二人のほうに近づいて来た。
「いいんですか?」
「何が?」
「あの女性…人間じゃありませんよ」
 驚いて二人が同時に清浄の方を見た。清浄が少し肩をすくめて皿に続けた。
「私は今実体を作っていないんですがあの人は気がついたでしょう?見えるのは同属か吉綱殿のような特殊な者か、異形や妖だけですね」
「それは本当か!?」
「吉綱殿はまだしも、制多迦はずいぶんと鈍くなったものですね。あれぐらいは見えるか否かを抜きにしても気づいて当然ですよ」
「…悪かったな。この体に入ってから思い通りに動けないんだ…」
 セイが悔しそうに俯いた。
「そんなことより、その依頼人が持ってきたあの箱やばいんじゃないか!?」
 吉綱の言葉に清浄は難しい顔をした。
「ええ。もしかしたら中にいるのはただの霊などではないかもしれませんね。封印がきつすぎて中がまったく分かりませんが」
 吉綱がさっと立ち上がり清浄と同じ位置まで下がった。
「吉綱…そんなに逃げる必要はないだろうよ。そんなにびびってるなら今から追いかけて返してこいよ」
 吉綱に突き出そうとでも思ったのだろうがセイが箱に触ると組み木の箱はひとりでに開いてセイを吸い込んだ。
「セイ!?」
 吉綱が叫んだときにはもうすでにセイは影も形もなくなっていた。セイが立っていたところには再び完全に閉まった箱が転がっているだけだった。






「くそ…ここは一体どこだ?」
 灰色の空と地面に覆われた世界に一人で降り立ったセイはとりあえず扇を取り出し構えていた。何も音がしない。閉じ込められてしまったのだろうか。
「それはそれで困るな。何かでてきたら出かたを聞き出せるかもしれないのにな…」
 扇を広げて精神を集中させ、遠くまで気配をたどってみた。遠くから何かが近づいてくる。
「なんだ…?」
 目を凝らすと何かの大群がまっすぐこちらに向かって来ているのが確かに見えた。扇を閉じて構える。
 近づいてくるとそれは奇妙な形をした妖だということが分かった。
百鬼夜行(ひゃっきやこう)ってところか?けど…」
 セイめがけて突っ込んで来た百鬼夜行は次の瞬間には粉々に砕け散っていた。扇を軽く叩いて持ち直すとセイは不敵に笑った。
「雑魚が何人集まっても所詮雑魚なんだよ」
 ひるんでいた第二陣はその言葉を聞くと怒り狂い、猛然と突っ込んで来た。それを見てセイはまた笑い、静かに言う。
「相手になってやる。どうせそんなにもたないだろうけどな」








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