犀雅国陸軍軍事記録
第33話 誘拐と血刀8 「聞いてなかったんすか?大佐、誘拐されたんですよ」 「あら、そうだったの」 のほほんと軍医が言う。あまりにもゆったりとしているのでこちらが調子を崩してしまう。 「それで、朝比奈大佐の居場所を探しているのね」 「そうです…けど……」 柳中尉が悔しそうにつぶやく。まだ足取りがほとんどつかめていない。やっと誘拐されたであろう場所を特定できたので、そこから探していくつもりだった。 「でしたら、私に言ってくださればよかったのに」 「そうですか、そうですね…ちょっと待ってください、今何て言いました?」 軍医がゆっくりと微笑みの表情を浮かべる。 「ですから、私に言っていただければ朝比奈大佐の居場所などすぐわかりましたのに」 「「「……え?」」」 中尉、少尉、上田の声が重なる。軍曹はいるがいつものように無言だった。 「…どうしてわかるんですか?」 中尉の問いに微笑みながら、軍医がポケットから怪しげな小型の機械を取り出した。妙な音を立てているわけでもなく静かに手の中に納まっている。レーダーの画面のようなものがその大部分を占めていた。 「…えーっと…それはもしかして…」 上田が恐る恐る口に出そうとする。上田の決意が固まる前に軍医が行った。 「大佐探知機です」 「あー…やっぱり…」 「と言っても発信機を大佐に仕掛けているだけですわ」 事もなげに言うが、発信機がどこに仕掛けてあるのかという疑問が中尉の心の中を駆け抜けた。軍服はいつも身につけているが、何枚かあるものを着回しているし、クリーニングに出したりもする。剣だっていつも持っているわけでもないし、誘拐されたなら取り上げられて捨てられている可能性もある。まさか眼鏡…? 何を聞いても微笑みしか返ってこなさそうなので、中尉は質問するのはやめた。 「で、大佐の現在地は?」 「その発信機、向こうが気づいて外していたら意味がありませんよね」 中尉と少尉が同時に質問する。 「発信機が外されているとは思えません」 軍医が事もなげに答える。 「いや、でも、万が一……」 「ありえません」 絶対的な口調で話しながら、微笑みを浮かべる。やっぱりどこに仕掛けたのかという質問はしなくて正解だったようだ。 「それと、現在地ですが…」 軍医が機械のボタンをいくつか押して電源を入れた。間もなく、小さな点が点滅を始める。さらにボタンを押すと、点の位置が変わった。 「南に約二キロの位置ですね」 「じゃあ、少なくとも金属で覆われた建物にいるということはないんですね」 「さあ?」 「え?あの…金属で覆われてたら電波届きま…せんよ…?」 「うふふふ」 電波じゃないのか!?いったいどんな手段で!?上田は聞きたいけど、聞いちゃいけない気がした。なぜなら相手はマッドサイエンティスト。 「……朝比奈大佐の救出に行かないんですか?」 いつまでも軍医に振り回されている面々に向かって、市ノ瀬軍曹が静かに言った。 乱暴に扉を開ける音で目を開いた。誰か来ないかと気を張っていたつもりだったが、いつの間にか眠ってしまったようだ。 扉から漏れてくる光に目がくらんで、入ってくる人間を確認できない。しかし、すぐに扉は閉じられた。中に入ってきた者が懐中電灯を点けて、大佐の顔を照らす。あまりの眩しさに再び目を閉じる。 「こいつか…」 姿は見えないが、口調や声の高さから男だとわかった。あの女の下に何人いるんだろうか。 「お食事だとよ、士官様」 「………」 喉が乾きすぎて、喋る気力もなくなっていた。やっと慣れてきた目で男を確認する。安っぽい服を着て、髪を撫でつけている。手には確かにそれなりに美味しそうな食事を持っていた。 その視線に気がついたのか、男がにやりと笑う。 「最後の晩餐になりそうだから、豪華なんだとよ」 「あの…女の…指示か…?」 「口には気をつけな」 食べろと言わんばかりに、皿を鼻先に突きつけられる。ローストビーフの匂いが鼻をついた。 「手…を…」 「残念だが、士官様、俺はこれを運んで食わせろって言われただけでね。手をほどくようには言われてねぇんだ。ほら食えよ」 男がローストビーフを手でつかみ、大佐の口の中に押し込んだ。咀嚼する間も与えられず、次々に食べ物を口に入れられて、思わず吐き出してしまった。 「勿体ねぇな。これじゃもう食えねぇよ。せめて水だけでも飲んどけ」 そう言うと、皿と懐中電灯を床に置いて、一緒に持ってきたらしいバケツを掴んだ。そして、勢いよく大佐に中身を浴びせる。 頭からかぶった水は軍服を濡らし、床も水浸しにした。 その大佐の姿を見ると満足げに鼻を鳴らして、ついでとばかりにバケツを顔めがけて投げた。バケツは顔に当たって床に転がる。 「じゃあな。もう会わねぇだろうがよ」 男は皿と懐中電灯だけ回収して、出て行った。 大佐は髪から滴り落ちる水を振りはらった。口の周りがべたべたするが、あの男が来る前よりいいことがある。頭から水をかけられた時に、僅かに飲んでしまった水で、喉の渇きは少なくとも癒えた。 |