犀雅国陸軍軍事記録
第32話 誘拐と血刀7 「それで、大佐の目撃情報は?」 「えー…」 もたもたと上田伍長がポケットから紙を取り出した。ペラペラの一枚の紙のようだが、表には上田の殴り書きがあるのが裏からでも分かった。 「時間は大体午前十時。挨拶されたという民間人が今わかっているところで3名、声をかけながら歩いて行くのを見たという人が10名以上。街の大通りを司令部から逆の方向に歩いて行ったそうっす」 そう言って柳中尉の机に目撃情報の報告書を置く。中尉はその紙を一瞥しただけで視界の隅に押しやり、上田にまた質問した。 「どこかに入っていくのを見たというような情報は?」 「ありません。大通りから脇道に入っていくのを見たという目撃者が1名いただけです」 「どこの道だ?」 市ノ瀬軍曹に町中の地図を出してくるように指示を出して佐伯少尉が問う。 「角に花屋があるところとしか…」 「道の角にある花屋といえば、ここです」 軍曹が地図上を指差す。そのまま一つの小道へと指を滑らせた。 「その道から入って司令部に戻ろうとしたら、まずこの道を通るかと」 「ここか?だが……」 軍曹が指差す先を見て少尉が口をつぐんだ。中尉に急かされてやっと口を開いたが言いよどんでいる。 「何かあるんですか?」 「実はこの通りだけスラム街とか?」 中尉と上田が口々に聞く。少尉は軍曹を見てから中尉に視線を合わせた。 「スラム街ではありませんが、最近になってこのあたりにガラの悪い連中が増えていまして…。どうもそれらを束ねている親玉がいるようですが、まだこちらでは尻尾をつかめていません」 「すると、大佐はその真っ只中に飛び込んでいった可能性が高いんですか?」 中尉が苦虫をつぶした表情を浮かべる。心の中で大佐を「馬鹿上司」となじっていた。 「いえ…ごく小規模なものですからまだ朝比奈大佐の耳に入れていません。もしこれから大きくなるようなことがあるのなら、その時にお伝えしようと」 「では知らずに通ったんですか?」 「その可能性が一番高いと思います」 中尉は深くため息をついた。空席のデスクを見てさらにため息をつく。知らなかったとしても丸腰で町中を軍服のまま歩くなんて…。 「……大佐の剣はどこにあるんですか?」 「へ?ビクトリアとかいうやつなら大佐が家で大切に保管してるんじゃないんすか?」 「白い方ではなく黒い方ですよ」 「あれなら普段から大佐が持っていましたけど」 少尉がそういうと軍曹が後ろで頷いた。少尉の言葉を補足するように軍曹が言葉を続ける。 「椅子に座るときなどは邪魔になるからとデスクに立てかけていました」 上田が大佐のデスクの椅子が入るべき場所をのぞきこむ。 「ありません。それがどうかしたんすか?」 中尉が腕を組んで天井を見上げる。 「丸腰で大佐が司令部を出ると思いますか?」 「コンビに行くとか…」 「軍服のままコンビには行かないだろう。それに朝比奈大佐なら私服でも剣を持っていた」 「…では剣は持ったままでかけたはずですね」 「抜け出したら中尉がキレるの分かってるから、帰ってきたときの防御用に持って行くよなぁ」 中尉が銃を抜くのとほぼ同時に上田が両手をあげていた。 「…黙ってまーす……」 中尉が咳払いで仕切りなおして少尉と軍曹に話を振る。 「剣を持っている大佐が簡単に捕まりますか?」 「相当な手練でもないと無理でしょう」 「手練ですか…」 思わず三浦軍医を見る。視線を感じた軍医はにっこりとほほ笑みながら、まだ一人でティータイムをしていた。ただし紅茶がコーヒーに変わっている。 「手練ってごろごろいるものですか…?」 「そういえば、大佐の師匠も強いとか聞いたことがありますね」 「それはありえません。師匠ならわざわざ脅迫状など書かないでしょう。大佐の話を聞いた限りでは、突然攫っていくぐらいはしそうですけどね」 『軍医みたいに』と言おうとしたが白衣の悪魔を目の前にしてそこまではさすがの中尉もいえなかった。 「まあ、可能性があるとしたら…」 中尉の無言の圧力で沈黙を守っていた上田が口を開いた。 「まだなにか可能性がありますか?」 「大佐といえば…」 上田がある一点を見つめた。上田の視線を追って、三人がその方向を見る。そこには当然のように軍医が座っていた。 「女性に弱い。とくに美人に弱い」 「あぁぁ」 納得というよりうめき声に近い声を中尉が出した。 「馬鹿大佐…。だから護衛ぐらい付けておけと何度も私は…」 「大佐がどうかしましたの?」 今まで一言も口をきいていなかった軍医がカップを机に置いて立ちあがった。 |