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五十嵐裏捕物 上巻


「旦那、お一人?暇ならうちで遊んでおいでよ」
 色町の一角で遊女が男に声をかけた。本多髷に長羽織と一般的な格好をした、まもなく四十になろうかという男のたくましい肉体と均整のとれた顔立ち、鋭いけれど何処か温かみのある眼が人々の視線を集めている。
「残念だが先約があってね」
「あら。じゃあ今度来た時にはうちをご贔屓に」
 遊女は名残惜しそうに男の肩に一度だけ手を置いて、他の男のところに行った。男の話に耳をそばだてていたほかの遊女も不満げな顔で離れていく。
「先約っていうのはあたいのことですよね、旦那」
 声につられて男、五十嵐延幹(のぶまさ)は振り返った。真っ赤な地に金の刺繍という派手な出で立ちの遊女が微笑んでいる。先約だと知ったほかの遊女たちが恨めしげな眼をしたが、彼女は意にも介さない。
「どうします、旦那。店にご案内いたしましょうか?」
 延幹は百万語を飲み込んで、彼女の手を取り、人目のつかない物陰に行こうとする。その様子を見て取った遊女たちがざわついた。そんな周りの目を無視して物陰に連れ込むと、遊女の方が先に口を聞いた。
「こんなところで何だっていうんです」
「おい…」
 頭を抱えて、静かに言いたい事を言った。
「もっとまともな格好で出てこられなかったのか、助蔵」
「いやですよ、旦那。この格好のときはお菊と呼んでくださいな」
 自分で帯と着物をはがすと、一瞬にして町民の姿になった。この遊女、名を助蔵といい、正真正銘の男であった。助蔵がにかっと笑う。
「色町の仕事後ですんで堪忍してくだせぇ、旦那」
 延幹は深くため息をついた。助蔵という男は遊女に化けても誰にも気づかれない程度に女装がうまい。
「…それで、尻尾はつかめたのか?」
「あちらさんもなかなか頭のいい連中がそろってるようでね」
「なんだ。駄目だったのか?」
「あっしをなめてもらっちゃ困りやす」
 そう言いながら助蔵が質の悪い紙を差し出した。折りたたんであっても、文字がびっしり書かれているのがよく分かる。
 助蔵の差し出した紙を受け取って懐にしまいこむと、付け足すように助蔵が言った。
「まあ、まだいまいち決め手にかける情報ばかりですがね」
「まだしばらく遊女として色町にいるのか?」
「もう遊郭で取れる情報はないでしょうねぇ。あまり一つのところで深くつっこむのも命取りですし」
「別に当てでもあるのか?」
「ええ。まあ」
「…ところで助蔵」
 延幹の視線が助蔵を通り越し、ある一点にそそがれている。数え年で五つぐらいに見える女の子が助蔵の足にへばりついていた。薄紅色の着物を着て、髪は肩口でそろえられている。
「その子供はなんだ?お前の子か?」
「何言ってるんです、五十嵐の旦那。あっしは旦那より若いんですから、所帯持つには早すぎやすぜ」
「…私より若かったのか…」
 助蔵は変装の名人なので果たして見た目と実年齢が合っているのかは、延幹でさえ疑問であった。
「迷子か?」
「いえいえ。あっしがちょいと声をかけたら、この通りくっついてきちゃいやしてね」
 延幹の視線が女の子から助蔵に移った。
「…攫ってきたのか?」
「人聞きの悪い。くっついてきちゃったんですって」
「人攫い」
「五十嵐の旦那ぁ」
 文句を言っていた助蔵が急に喋るのをやめて下を向いた。女の子が彼の着物を掴んで引っ張っている。
「ねぇ、おじちゃん」
「何でしょ?」
 膝を折って眼の高さをあわせ、助蔵が微笑む。『くっついてきた』と言っているわりには打ち解けている。
「このおじちゃんはだぁれ?」
「旦那のことですか」
 女の子がこくこくと頷く。延幹も膝を折って、女の子の目を真っ直ぐ見た。
「五十嵐延幹だ」
「あっしの仕事仲間ですよ」
「い…いか…?」
「何でも好きなように呼んでいい」
「おじちゃんはお侍さんなの?」
 少女の目は延幹が腰に帯びた刀を捉えていた。
「そう…だな」
「じゃあとーさまの下の人なんだ」
 少女が屈託なく笑った。延幹が怪訝そうに助蔵のほうを向くと、助蔵は口角を上げた。






「宿はどうする?三人分か?」
「そうですねぇ。親御さんの居所が分からないことには早紀(さき)を帰すこともできやせんしねぇ」
「早紀?ああ、その子の名か」
 早紀は疲れてしまったのか、助蔵におんぶされたまま眠ってしまっていた。延幹よりも背格好の小さい助蔵におんぶされているのは、ただ単に助蔵から離れようとしなかったからだ。
 宿を借り、部屋に入ると、まず助蔵の背中で寝ている早紀をちゃんと寝かせようとした。しかし、背中から離したら、途端に眼を覚ましてしまった。
「どうしたの?ここどこ?」
 早紀の問いに対して、彼女を下ろそうとしていた延幹が答えた。
「宿だ。眠いのなら布団を敷くから寝ていい」
「ううん。だいじょうぶ」
 そう言いながらも眠そうに眼をこすっている。念のため助蔵が早紀の分の布団を敷いた。
 皆で畳に座ると、真っ先に延幹が助蔵の方を見た。彼の表情を見て助蔵が笑みを浮かべる。
「そろそろ早紀を連れてきた理由を聞こうか。『別のあて』とやらに関係があるんだろう?」
「さっすが、旦那。頭いい」
「茶化してないで答えろ」
 笑顔の助蔵が早紀の頭をやさしく撫でた。早紀はわけも分からずされるがままになっている。
「あちらさんの周辺を伺っていたときにたまたまこの子に会いやしてね。これがなかなか面白いことを言うもんですから」
「だから連れてきたのか?」
「あそこも物騒になってきやしたからねぇ」
 今度は助蔵も『連れてきた』ということを否定しなかった。
「面白いことが何か聞こうか」
「旦那、それはあっしよりこの子に直接言ってもらった方がいいですぜ」
 二人が同時に早紀を見る。彼女は二人の会話についていけずにキョトンとしていた。
「旦那に美味しいお菓子の話ししてやってくだせぇ」
「おいしいおかし?とーさまの?」
「そーです」
 居住まいを正し、早紀が延幹の方を向いた。彼女には見えない角度に座っている助蔵は延幹に向かってニヤニヤ笑っている。
「あのね、うーんと…おきゃくさまが来てたの」
「お客?一人か?」
「うん。あのときは一人だった。でね、早紀はおきゃくさまがかえるまでお部屋にいなさいって言われてね、でも一人じゃおもしろくなかったからとーさまとおきゃくさまがいる部屋をこっそりのぞいてたの」
「見つからなかったのか?」
「うーん…おきゃくさまがかえったあとに見つかっちゃった。でもとーさまはおこらないでくれたよ」
 その時のことを思い出したのか、早紀がニコニコと笑った。そんな彼女に延幹も顔を和ませる。
「他に何か話したか?」
「早紀がおかしほしいって言ったら、これはとーさまの大切なおいしいおかしだから早紀にはくれないって」
「おかし?」
「おきゃくさまがとーさまにわたしてたの。まえにももらってたよ」
「前にも?お客は何か言ってたか?」
「これでどーぞ…よ、よし…なに、って言ってた」
 延幹が助蔵を見やった。その視線を受けて挑戦的な笑みを浮かべる。
 視線を戻して早紀に問う。
「何度か同じようなことがあったのか?」
「あったよ。おきゃくさまがくれたおかしはいつもとーさまが一人でたべちゃうの」
「そのお菓子の包みを開けてみたことは?」
「まえに開こうとしたらとーさまがすごくおこったの。早紀は触っちゃいけないって。それからはいつも高いところにおいてあったから」
「そうか。ありがとう早紀」
 延幹がそう言うと、早紀は頷きながらあくびをかみ殺した。延幹や助蔵が何か言うまえにいそいそと布団に包まり、あっという間に眠ってしまった。
 彼女が完全に寝ていることを確認してから助蔵が口を開く。
「どうです、旦那?使えやせんかねぇ?」
 あごに手を当て、少し考えるような仕草をしてから答える。
「そうだな…。少しは使えるかもしれないが、中を見たわけではないからな…。それに、子供の証言だ。まともに取り合ってもらえるものか……」
「他に中を見ていそうなお方がいらっしゃればいいんですがねぇ」
「ああ。明日、改めて聞くしかなさそうだ」
 そう言いながら、心地良さそうに眠っている早紀を一瞥する。小さく寝息を立てていて、安心しきっていることが伺えた。
「いざとなったら、あっちが直接その“お菓子”とやらを探して押さえやすよ」
「………」
 難しい顔をして延幹が頷いた。その表情のまま背後のふすまを見る。眉をわすかに動かして助蔵のほうに向き直った。助蔵も表情を硬くして彼を見ている。
「来客のようだ」
「ですね」
「助蔵、早紀を連れて行け。客の応対はしておく」
「わかりやした。あっしを探すときはお菊に」
 そう言い残すと、素早く眠っている早紀を抱き上げて窓から外に脱出した。足音もほとんど消してあるので今から追跡するのは不可能だろう。延幹にも。客にも。
 彼らの姿が完全に確認できなくなったのと同時に、部屋のふすまが乱暴に開けられた。帯刀した男が六人、土足のまま入ってくる。一見して藩士や御家人などではないとわかる様相だ。
「子供はどこにいる」
 質問というより詰問に近い問いに延幹は軽く対応した。
「突然入ってきて、名も名乗らすに問うか」
「黙れ」
「お前ともう一人の男が子供を連れて歩いているのが目撃されている。子供はどこだ」
「知らんな」
「白を切るとためにならんぞ」
 威嚇するように刀の柄が鳴った。
 それを横目で確認しながらゆっくりと立ち上がる。さらに複数の柄が鳴った。
「そんなに知りたいのならば、私を倒してからゆっくり探せ。後の憂いのためにもな」
 延幹が腰に帯びた刀に触れた。






 音もなく疾走していたら、振動で眼が覚めたのか早紀が話しかけてきた。背負われる形になっていたので、助蔵の頭だけが見える。
「どうしたの?」
「大急ぎで移動中です」
「おじちゃんは?」
「旦那はあとで合流しやす。できれば口を閉じていただいた方がいいかと。舌、噛みやすよ」
 後ろを振り返る余裕はなかったが、早紀が頷いたのが気配で分かった。
 人ごみの避けて、明かりのないところを走ってきたが、夜目の利く助蔵にとってそれは苦でもなんでもなかった。このまま暗闇を走って色町の方面に抜けようと思っていたが、ぴたりと足が止まる。
 早紀が怪訝そうに助蔵を見たが、後ろからでは表情を読み取ることが出来ない。
「隠れてないで出てきたらどうです?」
 彼の声につられるようにしてわらわらと男たちが出てきた。手に刀を握っている者もいる。二人を取り囲んだ男たちは、助蔵が耳で聞き取った“宿の客”よりも多い。
「通してくれやせんかねぇ」
「それならば、子供を置いて行け」
 子供というのが自分を指しているということに気づいた早紀がびくりと震える。手でしっかりと助蔵の着物を掴みおびえた。
「拒否したらどうしやすか」
 背中から伝わる震えを少しでも取り除いてやろうとしながら、敵の目を見て聞いた。
「無理にでも連れて行くだけだ」
 間合いを計るように助蔵が足を引いた。
 それを好機と見た男たちが躍りかかってくる。
 助蔵も片手だけで背負った早紀を支えて、懐からくないを取り出し、向かってくる敵の足目掛けて投げた。くないは見事に敵の太ももに刺さり動きを鈍らせたが、さらにくないを出そうとしたところで一人の男が拳を鳩尾に叩き込んだ。
 途端に空気を吸う事も吐く事もできなくなり、目の前が白と黒に支配される。そして手足の力が抜け、助蔵はその場に倒れこんだ。彼が倒れたはずみで背負われていた早紀も地面に転がる。
「おじちゃん!!」
 早紀の叫び声が響いても、助蔵は身じろぎすらしない。
 男たちが早紀に素早く猿轡をかませて抱き上げた。男の背を叩いたりして抵抗を試みるが、五歳の少女の力ではどうにもならなかった。
「これはどうする」
 気絶した助蔵の脇腹を蹴りながら男が聞いた。
「連れて行って仲間のことを吐かせよう」
 助蔵にも猿轡をかませ、さらに手足を縛って、男二人で担ぎ上げた。そのまま全員で暗闇の中を歩いていく。
 角を曲がるときに、気絶しているはずの助蔵の眼が一度だけ、うっすらと開いた。









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