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五十嵐裏捕物 下巻


 残っていた最後の一人を刀の柄で殴り、動きを鈍らせる。よろよろとしながら向かってくる“客”に反したままの刀を向けた。
「もう諦めたらどうだ?」
 延幹の周りには五人の男が積み重なって倒れていた。皆、目立った外傷はないものの、気絶しているかうめき声を上げたまま動けないでいる。
「お前らの探し物はもう遠くまで逃げただろうに」
「くっくっくっ……」
 最後まで粘っている男が笑った。諦めの笑いなどではなく、延幹を嘲笑しているのだ。
「何がおかしい」
 男は延幹の問いに答えることはせず、多少さきほどよりも遅くなっているがそれでも素早い動きで刀を横に払う。
 延幹は慌てたりせず冷静に刀を止め、後方へ吹っ飛ばす。それは勢いよく転がって、部屋の隅で止まった。膝をついた男の首元に刀をぴたりと当てた。
 それでも男は嘲笑を浮かべたまま、彼を見ている。
「答えろ」
「暢気なものだな」
「何がだ」
 首元に刀を当てられていることも忘れたように首を後ろ、助蔵が出て行った窓の方へ向けた。窓の外には店にかけられた提灯の灯りと、長屋が見える。
「仲間の安否も知らずに、自らの勝利を確信しているとは暢気なものだ、と言ったんだ」
「どういうことだ」
 くっくっ……と笑って延幹の方を向いた。刀があたっている部分の皮が僅かに切れたが、痛みに顔をしかめることもなく、彼の目をしっかりと捉えているその眼には嘲りと狂気しか映っていない。
「我らがたった六人で来たと思っているのか。貴様らならば気づいて逃げるだろうということも計算済みだ。今頃貴様の仲間は川に沈むか、我らの雇い主の元にいるだろうよ」
「あれがそう簡単に捕まるものか」
「待ち受けているものがここにいる数よりもはるかに多いと言われてもか?」
 延幹が眉間にしわを寄せた。六人よりも多い敵を前に、しかも足手まといになるであろう早紀を連れて、あの助蔵ははたして逃げ切れるだろうか。皆目見当がつかなかい。
 そうして思案しているうちにふと、あることに思いあたり眉間のしわを消して微笑んだ。刀の位置はまったく動かさずに男に言う。
「雇い主とやらのところに案内してもらおうか。あれが捕まっていようといまいと私のやることは変わらないのだから」
「誰がっ!!」
「では、他と共に眠っていろ」
 刀を一度首から離して、刃を反してから峰で首筋を叩いた。男が眠るように気絶したのを確認して延幹は刀を鞘にしまった。倒れた男を他の奴等同様、その場に捨て置いて、借り物の部屋を後にした。






 屋敷を支える大きな柱に助蔵がきつく縄で縛り付けられている。彼が動こうとすると、さらに縄は腕や腹に食い込んだ。
 それだけでも十分彼を圧迫しているのに、男が三人、うちの一人は見ていただけだが、二人は彼を執拗に殴っている。それでも助蔵は声も上げなければ、痛そうな顔もしない。ただ真っ直ぐに前を見据えていた。
「やめろ」
 今まで傍観していた男が二人に言った。途端に二人が動きを止める。
 男はゆっくりと助蔵に歩み寄ってきて、力の加減をすることなくあごを掴んだ。助蔵は僅かに顔を歪めたが、男の眼を見て平静な声で言う。
「何かあっしに御用で?」
 捕らえられても態度を崩すことのない彼に男は何処か楽しそうな、しかし心を映し出さない笑みを浮かべて答えた。
「お前の仲間のことを洗いざらい吐いてもらおうか」
「あっしの仲間?誰のことです、それは」
 男があごから手を離し、思い切り頬を殴りつけた。頬が赤く腫れるがそんなことを気にする風もなく、先ほどより強い力であごを掴んでこちらを向かせる。
「宿でお前を逃がした男だ。一緒に歩いているところも目撃されている」
「知りやせんねぇ、そんな男」
 助蔵の挑戦的な眼が男を見る。殴られた頬は腫れているが、これぐらいでは音を上げないとその眼は語っていた。
 男は腹いせのように腫れていない方の頬も思い切り殴る。衝撃で口の中が切れて、血の味を感じたが、助蔵は男から目を離さなかった。
 男は舌打ちをすると、他の男を連れて助蔵に背を向け、引き戸に手をかけた。そしてちらりと振り返る。
「次に会う時には吐いてもらう。どんな手段を使ってもな……」
 そうとだけ言い捨てて三人は出て行った。
 助蔵が深く息を吐き出した。縄に圧迫されて呼吸するのも億劫だ。遠く、前に見えるふすまよりも先を見て、彼は部屋の外で見張りをしている男たちにも誰にも聞こえないような声で呟いた。
「旦那、あっしが元気なうちに来てくだせぇ…」






「…いない…っ!!」
 上がった息を整えようと壁に手をつき、そう吐き捨てた。
 宿を出た後、真っ直ぐ助蔵が行くと思われた昼間の色町へやってきたが、助蔵も早紀も見つけることはできなかった。それらしき人物がいたら失礼を承知で顔を覗いたが、全て別人だった。
「どこに…」
 いや、何処かは分かっている。二人で追っている者の屋敷だ。あの助蔵に限って川に沈んでいるなどということはありえない。しかし、その屋敷に行きたくても助蔵にまだ場所を聞いていない。彼はいつも直前にならないと場所を教えてはくれない。延幹が勝手に動いたりしないようにとの予防線なんだろうが、今はいつものことが足を引っ張っている。
 怒りの行き場を求めて、手をついていた壁を叩く。中にいる者からすれば迷惑極まりないが、そんなことを気にしている余裕は今の延幹にはなかった。
「おや、旦那」
 “旦那”と言う言葉に反応して、彼は弾かれたように声の聞こえた背後を振り返った。残念なことにそこにいたのは助蔵ではなく、昼間、彼に声をかけてきた遊女だった。
 眉間のしわを深くして遊女に背を向ける。
「気に入った女がいなかったのかい?」
 延幹が背を向けていても気にすることなく、遊女は話しかけてくる。
「それとも…お菊をお探しで?」
 無言を通していたが、その言葉で体ごと遊女のほうを向いた。眼が僅かに輝きを取り戻している。
「どこにいるか知っているのか!?」
「それは知りませんけどね」
 目に見えて延幹が肩を落とした。遊女はその様子を見ている。真っ赤な唇は笑みをたたえていた。
「でも、こういうものが…」
 懐から紙を取り出して、ひらひらと延幹の鼻先で降る。助蔵に渡された紙と同じ紙質のようだった。
「それは…?」
「旦那がお探しの方から預かっているようにと」
「す……お菊か?」
 疑問形で聞いたが、きっとそうだという確信があった。紙をひったくるように受け取り、素早く眼を通す。そこには今彼の相棒がいるであろう場所が書かれていた。
「これを預かったのはいつだ」
「今日の昼間、旦那に声をかける前。お菊を探しているようなら渡してやれとのことでした」
「そうか…」
 紙を綺麗に折りたたんで懐にしまう。遊女に頭を下げてすぐに駆け出そうとすると、彼女が延幹の袖の袂を掴んだ。
「……?」
「助さんによろしく」
 延幹が強張らせていた表情を緩めて笑った。この遊女は“お菊”という遊女としての助蔵の姿ではなく、彼の相棒としての姿を知っているのだ。
「ああ」






 板張りの冷たい床にぺたりと腰を下ろして早紀はうつむいていた。
 屋敷についた途端、助蔵とは引き離されてごく小さな窓からの光に照らされたこの部屋に押し込まれた。引き戸は棒で固定されているのか、彼女の力ではびくともしない。
「早紀」
 すぐ外から聞こえた声に彼女はパッと眼を輝かせて引き戸に駆け寄った。しかし引き戸は開く気配がない。
「とーさま!開けて!」
「駄目だ。悪いことをしたらお仕置きをしなければならない」
 外の声の主、早紀の父親は冷たく言った。そこに父親としての優しさは一切見えない。
「早紀、なにもわるいことしてないよ」
「いいや、あの二人にとーさまのことを喋っただろう?」
 言いながら、引き戸を開けた。逆行で父親の顔はほとんど見ないが、早紀には父親の顔が残忍に歪んでいるように見えていた。
「とーさま…?」
 早紀が恐怖に身をすくめながら呟いたとき、玄関の方から激しく戸を叩く音が聞こえた。
「誰かいないのか!!」
 男の声が響き渡り、次いで戸を開ける音がする。そして何の躊躇いもなくこちらに向かってくる足音。
 父親が怪訝そうな顔で玄関に続く廊下を見ていると、勝手に侵入した男が歩いてきた。
 引き戸から顔を出した早紀がうれしそうに男を見て言う。
「おじちゃん!!」
 延幹は無事な早紀を見て微笑むと、すぐに真剣な顔で父親を見た。鋭い眼からは本来の温かみが消え失せている。
「若年寄、安藤泰弘(やすひろ)だな」
 早紀の父、江戸幕府若年寄の安藤泰弘が嘲笑うように微笑んだ。
「これはこれは。奉行所の犬か。何の用だ?」
 腰から刀を下げ、侍を気取っているが、この男は捕吏だと手先の者から聞いていた。奉行所に属しているものだと。
「何か勘違いをしているようだ。もし私が奉行所の者だと聞いたのならそれは間違っている」
「何を馬鹿なことを」
「嘘など言ってどうする。若年寄という位を使って、奉行所に確かめるといい。五十嵐などという捕吏は存在していない」
 安藤は僅かに眉を寄せたが、すぐにまた嘲笑うような微笑みに表情を変える。
「それならば、お前に何ができる。捕吏でないのならば私を追う必要などないだろう。もっとも奉行所の犬であれば容易く手なずけられる」
「さあ?まずは早紀を―――」
 延幹が動いた。突然のことに安藤が一歩も動けないでいると、早紀を担ぎ上げて安藤の背中を取る。いつの間にか抜かれた刀を安藤に向ける。
「助けるか」
「くっ…!!」
 安藤の表情が苦渋に染まる。手を頭の横に上げて降伏しようと口を開く。しかし、ゆっくりと口角を上げて、笑みの表情になった。
「何を笑っている」
 延幹がそう問うと同時に、廊下の前と後ろから男たちが皆、刀を手に踊り出てきた。
 刀の向きを変えて男たちから身を守っていると、安藤はその機に乗じて奥に逃げていく。
「待て!!」
 安藤はその言葉に振り向くこともせずに、延幹が来た方とは逆へ消えていった。
「くそっ!!」
 延幹は向かってきた敵を切り捨て、早紀を抱えたまま、奥へと進もうとするが、敵が後から後から彼に傷を負わせようと向かってくる。
 刀を横なぎに払い、正面の敵をまとめて斬りると、続けざまに背後から迫ってきた者をも切り捨てた。その真横にいた敵も腕に傷を負わされて、刀を取り落とした。
 恐ろしいほどの気迫を纏った延幹に、段々と敵が後退して行く。彼が前に進んでも、後ろにいる敵は根を生やしたように動かない。
「通る」
 一言だけ呟くと、延幹は前方の敵を退けながら、安藤を追って奥へと進んで行った。






「なんなんだあれは!!」
 安藤が音を立てて引き戸を開けた。その部屋の中央で助蔵が柱に縛り付けられている。
「おや、さっきのお方。どうかしやしたか?」
 助蔵の問いには答えずに、すたすたと彼に近寄る。
「旦那でも来やしたか?」
「ちっ!」
 はっきりと舌打ちして、安藤が掴みかかった。助蔵は抵抗することなく、彼を見据えて返事を待っている。
「お前の心優しい仲間がやってきたんだ。あれは、捕吏ではないと言っていた。お前らは何者だ」
「旦那がそんなことを」
 楽しそうな笑みを浮かべている。その笑みが安藤を苛立たせ、腹部を殴られた。息がつまり、激しく咳き込む。
「答えろ。奴が来る前に」
「それは私のことか」
 引き戸が乱暴に開かれた。剣呑に細められた眼が安藤と助蔵を捕らえる。赤く染まった刀を片手に延幹がゆっくりと部屋に足を踏み入れる。
「外の見張りはどうした!?」
「眠っている」
 答えを聞いて安藤は青ざめつつ、素早く行動を起こした。縛られて動けない助蔵の喉元に脇差を当てた。手元が震えてすでに血が流れ始めている。
「こいつはお前の部下だろう?こいつの命が惜しくば引け」
 それでも平静を装って安藤が命じた。
「せっかく機会を与えてやったのに、無駄だったな」
 耳打ちされた声に焦って振り返った。助蔵がにっこりと笑っている。口調は違えど、今の声色は確実に助蔵だった。
 安藤が余所見をしている瞬間をついて、延幹が彼の腕を捻り上げる。脇差が床に転がった。
 刀のほうに手をかけようとするが、延幹がそれを阻んだ。
 その光景を見ながら助蔵がのんきに言う。
「五十嵐の旦那、この縄解いてくだせぇ」
「それぐらい自分でやれ」
「つれないねぇ」
 ため息をつくと同時に、縄がいとも簡単に解けた。
 安藤が驚愕して助蔵に眼をやる。助蔵の手にはくないが一本握られていた。
「貴様…!!いつの間に!!」
「さてね」
「証拠は掴んだ。悪行はこれまでだ」
 安藤の腕を捻ったまま、延幹が言った。
 しかし彼は自分が捕らえられているという絶体絶命の状況下で、笑い声を上げた。
「悪行とはなんだ。捕吏でもない者に何ができる。貴様らの行為は無意味だ」
「誰が捕吏でないと言った?」
「さっき貴様が…」
「奉行所の者ではないと言っただけだ」
 延幹の淡々とした言葉を聞きながら助蔵が安藤の顔を覗いた。斬られたところから血は流れているものの、頬の赤みは消えかけている。
「捕吏ですよ。旦那は。ただ…奉行所に属さず、老中直下の裏の捕吏ですがね。あっしも旦那の部下じゃなく、老中との連絡役をおおせつかった忍びにすぎやせん」
「何…?」
「そういうことだ。悪行についても調べはついている。袖の下を貰って、役人の人事を操作していたのだろう?娘の証言もあるんだ」
「それとあっしの軟禁、拷問もありやすよ」
 安藤が顔を引き戸の方に向けると、心配そうな顔をした早紀がこちらを伺っていた。さっと血の気が失せていく。
「…奉行所に送るのか?」
「老中直下だと言っただろう。老中から命令だ」
 延幹が呆然としている安藤の手を離して文を渡す。中には老中の達筆な文字で『今日中に江戸から去れ』とだけ書かれていた。
「去らなかった場合は…?」
「これは命令だ。お前の意思など必要ない」
「まあ、去らなければ老中直々に手を下すってところでしょうかねぇ」
 それが何を意味しているか分からない安藤ではない。死を迎えるくらいなら、地位も財産も全て投げ打ってでも江戸を去ったほうがいい。
 腰が抜けたように安藤は座り込んだ。そんな父親を見て早紀が駆け寄ってくる。
「とーさま!!」
 その様子を横目に見ながら延幹と助蔵は安藤の屋敷を後にした。






「助けに来るんでしたら、もっと早く来てくだせぇ」
 散々殴られた腹を痛そうにさすりながら助蔵が不満げに言った。
「わざと捕まった奴に言われたくはない」
「気づいてたんで?」
「気づかない奴がいるか。嘘と演技はお前の十八番だろう。本名も教えられてないからな」
 助蔵が小さく笑った。文句を言いつつも延幹の眼は温かみを持っていた。
















 長すぎる…。Short×Shortなのにとっても長い。疲れる…。
 読んでる方も長い!!とか思ったかもしれませんね、すいません。何せこれ、Short×Shortの中でも長い方に分類されているものの二倍はありますもん。さすがに内容を詰め込みすぎたか…。
 助蔵の名前(偽名)はかの水戸黄門の助さんからいただきました。でも名前は助さんなのに忍びなんでどちらかっていうと飛猿なんじゃないのか…と自分でも思っています。

 これの内容ちゃんと伝わりますかね?長すぎて自分でも何がなんだか…。現在、書ききった後の放心状態ですしねぇ。







2008年11月11日


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