護法之書
第四話(上) 椅子に腰をかけて一息ついた。ゆっくりとコーヒーを飲んでいるところへセイが暇そうに入ってきた。 「セイ、暇なら丁度いいから 「暇なら丁度いいってなんだよ…。まぁいいけど」 来客用のソファに腰掛けてからセイが口を開いた。 「矜羯羅についてか…あれは簡単に言えば天然だな。ボケててどうしようもないんだ。しかも自分でそれを認めない」 「なんだそれ…」 吉綱はセイの説明を聞いてそれが自分の転生だと心底認めたくなかった。かなり言いたい放題だった。 「いいところってないのか…?」 「いいところねぇ…ボケてるのも場を和ませると言う長所だが…強いて言うなら誰に対しても優しいところか。あの平等の優しさはある意味めずらしい」 「あー…なんか他の特徴ないのか?」 「他…八大童子の第七番目、慈悲を司っている。あと矜羯羅も呪術師だが、あれは八童子の中で呪術師としてよりも式使いという立場だったなぁ」 「式使い?」 「白狐や犬神、管狐、あと狸なんかを従えてた。自分は動かずそいつらに働いてもらってたよ」 「梓みたいなもんか」 「そうだな。実際に一匹の白狐に梓って名づけてたから」 偶然か聞こうと口を開いたとき、バタバタと何者かが階段を駆け上がっている音が響いた。二人が扉のほうを見ると扉が開き、勢いよく人が飛び込んできてそのまま吉綱に飛びついた。勢いがよすぎて吉綱は椅子ごと倒れ、頭を打った。 「痛っ!!」 「うわっ!!ごめん吉綱!!やっと会えると思ったらつい…」 そう言うと吉綱から離れて、立ち上がろうとする吉綱を見下ろしていた。髪を二つに結んだ翠色の瞳の少女だった。少女といっても見た目は十七歳ぐらいだがさっきの考えなしの行動を見ていたらどうしても少女と呼びたくなる。首まであるが肩から先がない服を着ていて、帯のようなものや絹など何本もを肩から垂らしたり腕に巻きつけたりしている。両の二の腕には細い紐が縛り付けてあった。 「えっと…どちら様…?」 格好を見てきっと八大童子の関係者だろうとは思ったが間違っていたら困るので一応聞いてみた。すると少女は吉綱を軽く叩いて笑った。 「やだぁ。 「ほっとけ」 いきなり来て名前を呼び捨てにする烏倶婆哦を胡散臭そうに見ていたが、この普通の人とかなり違っているのが八大童子なのだろうとあきらめた。 「こんにちは烏倶婆哦。素敵な髪色ですね」 烏倶婆哦の髪は光に当たるとキラキラと反射する亜麻色だった。日本人と違うその色がかなり目立っていたので吉綱は言ったのだが、烏倶婆哦はその言葉に素直に喜びまた抱きついた。吉綱もよろめきながらなんとか立っていた。 「ありがとう!!そんなこと言ってくれるの吉綱と矜羯羅だけよ!!」 「おい…烏倶婆哦、話を勝手に作るな」 「作ってないわよ。矜羯羅も昔、この髪を見て『綺麗だ』って言ってくれたもの」 うんざりした顔をしてセイが遠い目をした。 「あれは天然記念物だな…そんなこと多分他のやつにも言ってるぞ」 「いいの!!私に言ってくれたことに意味があるんだから!!」 そんな話を聞きながら吉綱は烏倶婆哦をはがして、セイを引っ張って部屋の隅に行った。 「おい、あれはなんだよ。矜羯羅にうるさいみたいだけど」 「お前のことにもうるさいだろうよ。あれは矜羯羅一筋なんだ。あれは慕ってるんだろうけどいきすぎだな。しかも完全片思い」 「へぇ…」 「矜羯羅もあれをよしとしてるんだからつくづく不思議な女だよ」 「え?ちょっと待て…女?矜羯羅って女なのか!?」 「教えてなかったか?」 「教えてないから!!…えっと矜羯羅が女ってことはなんだ?烏倶婆哦、女だよな…?それは烏倶婆哦としてはありなのか…?」 セイが呆れ顔で吉綱に言った。 「吉綱…お前はもうちょっと人を見る目を磨け」 「なんで?」 「烏倶婆哦は…男だ」 吉綱はしばらくその場で固まっていた。セイが肩を叩くとようやく口を開いた。 「あれが男!?うわぁ…なんで…?八童子って何でもあり?」 セイが苦笑した。 「ありじゃないが…あれは誰にも止められなかったから…」 そう言ってまた遠い目をした。 「ねぇ、何してるの?二人でこそこそ話して」 烏倶婆哦がやってきた。セイが物言いたげに目を細めたが、烏倶婆哦はそんなことは気にせず吉綱の腕を持つ。烏倶婆哦が男だと知りちょっと、いやかなりその状態がいやだったがうるさくなりそうなので抵抗はしなかった。 「ちょっと八童子について聞いてただけだよ」 かなり苦しい言い訳だったが嘘はついていないのでいいだろう。吉綱は自分で勝手にそう解釈することにした。 すると、烏倶婆哦が自分より小さいセイの襟をつかんでにらんだ。セイはそれを嫌がるでもなくただ烏倶婆哦を見ていた。そして烏倶婆哦がさっきとは一変してとても低い男らしい声を出した。 「おい、変なこと言ってないだろうな?」 「何が?たとえばお前が実は男ですとか?今地声になってるからそれはバレバレだろうよ」 烏倶婆哦がびっくりして声を高く、女口調に戻した。 「やだなぁ、違うわよ。それに今のは不可抗力だから、関係ないわ。それにばれたってなんだって関係ないわよ。どうせ清浄がバラしちゃうんだろうし」 「じゃあなんだ?矜羯羅に気持ちを伝え続けてるのに鈍いから気づいてもらえないってやつか?」 「言ったのか?じゃなかった。そんなこと言ったの?」 「いやこれから」 「じゃあ…」 言うなとでも続けようとしたのだろうが、その前にセイが吉綱の方を向いて聞いた。 「梓呼べるか?」 「ああ、いいけど」 吉綱が梓の名を呼ぶと、扉をカリカリと引っかく音がして白狐が入ってきた。一目散に吉綱に向かってきたが、その隣で吉綱の腕をつかんでいた烏倶婆哦に気がつきそちらに興味が移ったのか、烏倶婆哦の服の帯のようなものをくわえて引っ張りはじめた。烏倶婆哦は吉綱の腕を放し、梓が帯を引っ張るのをやめさせようとしていたが、今度は絹をくわえられていた。梓に必死でこちらのことなどそっちのけだ。 「あれは大丈夫なのか?」 「問題ないだろう。烏倶婆哦は昔から動物たちに好かれるたちで、すぐに動物が集まってくるんだ。本人はあまり動物が好きではないらしいが動物好きの矜羯羅とお前の手前なかなか抵抗できないらしい」 「で、梓を呼び寄せた意図は大体分かったけど、一体何がしたいんだ?」 「いや、烏倶婆哦の昔話でもしてやろうかと思って」 * * *
制多迦が烏倶婆哦の前の椅子に座ると烏倶婆哦はおもむろに口を開いた。 「制多迦、矜羯羅のあの鈍さはどうにかならないのか?」 「俺に言われてもなぁ。でもあの鈍さ含めて好きなんだろ?」 「もちろん」 自信満々で答える烏倶婆哦を見ながら制多迦は本気で悩んだ。なんでこいつの相談なんかのってるんだろうか?いや、矜羯羅について泣き付かれたから仕方なくやってるんだ。だが、なんで俺?相方なんだから清浄がのってやれよ…。無理か。清浄なら絶対にそれをネタにしてどん底まで突き落とすだろうから。 「なんで俺にそれを言うんだよ」 「そりゃあ矜羯羅の相方だから制多迦が一番よく分かってるだろうと。今日も式と戯れてる矜羯羅のところに言って好きだって言ったら矜羯羅なんて言ったと思う?」 「さぁ…」 制多迦はそう答えながら大体の見当はつけていた。あの矜羯羅相手にそんなこと言ったって正しく理解するわけがない。 「矜羯羅は『私もよ烏倶婆哦。梓も椿も栃も制多迦もその他の童子も明王様もみんな大好きよ』って言うんだぜ!!」 やっぱり…。そしてなんでそこで俺の名前を出すんだ矜羯羅…。烏倶婆哦の名前を出したところで止めておけば烏倶婆哦が俺のところに来ることはなかったのに…。違うか。止めたとしたら今度は自慢しに来るな。 「みんなって何だよ!!矜羯羅は俺のことどう思ってるんだよ!!」 「そりゃ…同族とでも思ってるんだろうなぁ…」 「同族って…矜羯羅にとって俺はその程度のものなのか!?」 その程度なんだろうと制多迦は思った。その程度で『みんな大好き』とか言える矜羯羅はある意味尊敬に相対する。制多迦は少し遠い目をした。 「そもそもなんでお前が矜羯羅の相方なんだ!!なんで俺じゃいけないんだ!!」 「さぁ。不動が決めてることなんだから俺が知るわけない。それに相方なんてどうでもいいじゃないか」 「どうでもよくない!!お前清浄と組んだことないからそんなこと言っていられるんだ!!試してみろ!!顔合わすたびに馬鹿にされるこっちの気持ちにもなれ!!」 いや…それは他のやつも大体同じだから。でもお前じゃないと気持ち分からないだろうよ。そんなことを考えていたが制多迦はまったく違うことを口にした。 「いい組み合わせなのに何言ってんだか…」 制多迦の小さな呟きが聞こえなかった烏倶婆哦は、それからしばらく騒げ続けていた。 * * *
「何か…遊ばれてる話にしか聞こえない…」 「実際遊ばれてるんだから間違ってないだろう」 吉綱がため息をついたところにやっと梓から逃れた烏倶婆哦がやってきた。 「全部話しちゃったの!?」 「お前の基準だとどこまでが全部なんだ。お前の馬鹿話なんか探したら一日じゃ話しきれないぞ」 顔を真っ赤にして反論しようとしたら、なんともいいタイミングで梓が飛びついて烏倶婆哦は派手に倒れた。セイは軽く肩をすくめてそれを無視した。 「で、烏倶婆哦が女装し始めたきっかけは?」 「それは…」 セイが口を開くと同時に呼び鈴がけたたましく鳴り響いた。 重いまぶたをゆっくりと上げると高い天井が目に入った。そのまま目線を下ろし左側を見る。そこに思夜が足を組んでただ座っていた。今日は髪を束ねず、丈の長いスカートをはいていた。 「ここは…」 「異界よ。あなたの部屋。ここについてすぐに気を失ったの。神の力を持った武器で切られたなら、力が全身に回る前に血を流すとかして抜かないとだめだって怒ってたわよ」 「俺の腕…!!」 無理やり起き上がってかけられていた毛布を剥ぎ取る。生々しい傷の残った右腕を見て嘆息した。傷は残ったが右腕がなくなるという最悪の事態は逃れたようだ。 「そんなに心配しなくてもここには専門家がいるんだから大丈夫よ。そんな簡単に腕がなくなったりはしないわ」 「ああ。ところでお姫さまはなんでここに?心配してくれた?」 「お姫さまって呼ばないで。交代で暁が起きるのを待ってたからよ。それよりちゃんと寝てくれないと治るものも治らないわよ」 思夜がたしなめたが、暁はそれを無視して寝床から出て立ち上がった。しかしすぐに立眩みが起きて座り込む。思夜があわてて駆け寄り、また寝床に戻るのに手を貸した。 「ダメよ。神の力がまだ完全に抜けてないから動けないわ。しばらく大人しくしていることね」 暁が寝床に戻ったのを確認して思夜は扉のほうへ歩いていった。 「お姫さまは次はどこへ?」 思夜は振り返って軽く微笑んだ。 「護法のところに。私のかわいがってる子の一人がぜひ戦ってみたいって言ってるから」 静かに扉を閉めて思夜は出て行った。 |