護法之書
第四話(下) 扉を開けるとそこにいたのは…。 「父さん!?」 後ろでバタバタと走ってくる音がした。セイが息を呑む。 「よ…」 吉綱のことを呼ぼうとしたのだろうが、吉綱は不思議な格好をした 「何か用ですか?というか仕事は…?」 「いったん荷物を取りに引き返してきたんだ」 藤原家の屋敷は超常現象解明局の裏。入り口は一つ先の道にある。 「父さん…自宅は向こうの通りですよ…?」 吉綱の父親である藤原氏は目じりにしわを寄せて微笑んだ。 「かわいい二番目の息子の所によってはいけないという理由はないだろう?な、吉綱」 事も無げに言い切る父親を前に吉綱は肩を落した。これが二十歳の息子に対する父親の態度だろうか?この父は生まれてから一度も息子たちへの対応を変えたことはない。一言で言ってしまえばただの親バカだ。 「でしたら…さっさと家に帰って荷物とって社に戻ってやってください…。父さんが抜けている穴を必死で補おうとしているであろう兄さんのために…」 「そんなに大きな穴にはなるまい。あれはしっかりやってくれるからな」 しっかりしている兄が父の勝手な振る舞いのためによくここに来て愚痴を言っていくのを知らないからこそそんなことがいえるのだろう。まったく信頼しているのかなんなのか分からない。 吉綱が父親を無理やり帰そうと口を開いた瞬間。上から人が降ってきた。…ではなく、セイが二階から飛び降りて藤原氏の背後に回った。そして振り向く暇も与えぬ速さで首に手刀を叩き込んだ。藤原氏は気を失い吉綱のほうに倒れこんできて、吉綱はそれをなんとか抱きとめた。 「セイ!!何をしているんだ!!」 吉綱が声を荒げるとセイは無表情のまま、藤原氏の髪に触り何かをつまみ出した。 「怒るのはこれを見てからにしろ」 セイがつまみ出したものはハエと同じような小さな虫だった。 「これは…」 「式だな。この気配、この前会った思夜とか言う女のやつだろう。やつらは俺たちの周りにまで手を出し始めたのか」 そう言って手にしていた虫を握りつぶした。手を広げるとそこに虫はもういなかった。式ならではの特徴だ。 「気配を追えるか?」 「やってみよう」 背後で扉を開く音がして、二人同時に振り返ると烏倶婆哦が少し扉を開けてこちらを見ていた。烏倶婆哦が出てくる前に二人は藤原氏を家の中に運び込んだ。 「まったく。なんで扉が開かないからって二階から出るのよ。 藤原氏を客用のソファに寝かせてから、烏倶婆哦が開口一番に言った。不機嫌そうにセイが眉を寄せた。 「お前に好きになってもらう必要はない。というか、もらいたくない」 「当たり前だ!!」 「素が出てるぞ」 片手で口を押さえてから烏倶婆哦は吉綱のほうを向いた。 「それで?どうするつもり?」 「式なら追うよ。でも父さんが…」 「お前の親父ならほっといても大丈夫だろ。そんなに心配なら 吉綱が怪訝そうな顔をした。セイは腕を組んだままあごで烏倶婆哦を指した。 「心配しなくても烏倶婆哦なら相方だから呼べる」 「お願いできるかな?」 吉綱は微笑を浮かべて烏倶婆哦に言った。烏倶婆哦は驚き、顔を赤らめてうなずいた。烏倶婆哦の扱い方がわかった気がした。 目を閉じ、手を一回叩いた。吉綱が見ている限り烏倶婆哦がやったのはそれだけだったが、意気揚々とこちらを見たのでうまく行ったらしい。 「いいですよって。だいぶ機嫌が良かったわね」 セイが軽く聞き流して扉に向かった。 「どこ行くんだ?」 「どこって追うんだろ?式を」 セイの後に続いて吉綱と烏倶婆哦も出て行った。 思夜は崖に腰掛けていた。少し手前には彼女の式が暇を持て余して地面をいじくっている。 「もう少し待ってね。もうすぐ来るだろうから」 そして気がついたように思夜は言い足した。 「あんまり地面掘っちゃダメよ。この空間は即席で作ったんだから」 彼らは今、思夜が作った異次元にいた。しかし、どこまでも続く大地と空を見てる限り、ここが異次元だとは思えなかった。 しばらくすると思夜が顔を上げて遠くを見た。そこにわずかなゆがみが生じている。 「来たわ」 そのゆがみが割れて護法の遣いが降り立った。 セイは思夜の姿を認めると苦虫を潰したような顔になった。 「やっぱりあの式はお前か…!!」 思夜があいまいに笑うと式が彼女の変わりにしゃべった。 「ちがうよ。あの式はぼくのだよ。思夜様の式じゃないもん」 「しゃべった!!」 吉綱が式がしゃべったことに衝撃を受けているとセイが静かに、しかし有無を言わさぬ口調で言った。 「下がってろ。俺がやる」 烏倶婆哦が吉綱をつれて跳躍した。二人が下がったことを確認すると懐から扇を取り出し広げた。 「容赦はしない。たとえ赤子のような奇妙な姿をしていてもな」 式は確かにセイが言うとおり赤子のような姿をしていた。眼が大きすぎて黒目しかないところとその体躯が熊ほどもあるところを除けば。 「そんなものいらないよ」 セイが素早く式との間隔を詰めたが、式はまったく動かなかった。飛び掛って扇を袈裟懸けにはらおうとしたがなぜかそのまま後ろに飛んで体勢を立て直した。 「なんで今打たなかったんだ?」 吉綱が疑問を口にすると烏倶婆哦が舌打ちした。 「あの馬鹿が…」 「え?」 「あら違った。制多迦の動きだけ見ててもわからないわよ。あの式、虫を使うみたいね。それが制多迦の扇を跳ね除けてるのよ」 童子というものは目がいいらしい。ここからそんな小さな虫などまったく見えないのにそんなことが分かるのだから。 しかし吉綱は知らなかった。烏倶婆哦は特別な理由があって一人だけ目がいいということを。 「さて、どうしようか」 セイが困ったというより楽しんでいるような口調でつぶやいた。間近で見れば大量の虫が式を守っているのが見える。これでは直接攻撃を得意とする俺よりも呪術を使う吉綱に任せたほうが早かったかも知れない。それはある程度予想していたことだが、それでも自分でこの式を倒してみたくなったのだ。 「何してるの?来ないならこっちから行くよ」 式は虫にセイめがけて飛ぶように指示した。セイは扇を広げた上で両手を顔の前で交差させて衝撃にそなえた。すごい速さで飛んで来た虫たちが次々にぶつかり、白っぽい着物や紺色の袴、新調したばかりの扇に穴を開けた。 「まだ変えたばっかりなのに早くも台無し…」 そうつぶやいたのはセイではなく吉綱だった。暁に切られた扇の代わりに特別に作らせた鉄扇だからだ。今度は強度の面を考えて骨の部分はすべて鋼。骨は大丈夫そうだが少なくとも紙の部分は張り替える必要がある。 「制多迦に扇なんて渡した時点でこうなることは分かっておかないと。制多迦はやんちゃなんだから」 セイをやんちゃと表現するのか…。本当に烏倶婆哦は、いや八童子はすごい…。 式の攻撃を右に避けてセイが一歩踏み込んだ。しかし、セイの攻撃はやはり無視に阻まれ届かない。 「くそっ…」 明王に願って本来の姿に戻るか。扇で虫を叩き落としながらセイは考えていた。 「烏倶婆哦、相談なんだけど」 「なぁに?吉綱の相談ならいくらでものるわよ」 いくらでものる必要はないんだよ…。とりあえず今相談にのってくれれば。 「術者を倒せないかな?そうしたら式も消える」 「この距離から!?」 「俺の呪術でこの距離は…無理か…。何とかできないか烏倶婆哦」 「出来ないこともないけど…」 「頼む!!」 だいぶ迷っていたようだが、吉綱の「頼み」が利いて烏倶婆哦も頷いた。 「…下がって」 吉綱が指示に従うと烏倶婆哦はどこからか五鈷杵を取り出し左手で構えた。左手を伸ばすと五鈷杵が光だし弓を形成した。矢をつがえ形にすると、光り輝く矢が現れた。狙いを思夜に合わせて引き絞ると一気に矢を放った。 思夜は自分めがけて飛んでくる矢に気がつき、とっさに体をづらした。矢は思夜の服を軽く破くだけにとどまった。 「やったわね…」 新たな式が現れて、吉綱と烏倶婆哦めがけて飛んで来た。吉綱は烏倶婆哦を押しのけて前に出ると、九字を切った。 「臨兵闘者皆陣烈在前」 九字が作った守りにぶつかった式は断末魔の叫び声をあげながら消滅した。 「やっぱりその程度じゃダメなのね。それならこれでどうかしら」 思夜が新たな式神を召喚しようと片手を挙げたとき、突風が吹き荒れ若い男が現れた。黒い髪をなでつけシャツを着ているどこにでもいそうな人だ。 「敵か!?」 「あの女の式の一人ね。見た目は人だけど」 式神も何でもありなのだと確認させられた。 「外から来たみたいよ。何しに行っていたのかしら。大切な主人を残して」 若い男は思夜に一礼すると声をかけた。 「思夜様、例のものをお持ちしました。どうぞこちらが護法之書です」 「護法之書!?」 男が手に持っていたのは間違いなく吉綱の護法之書だった。不動の妙技と呪術の結晶体。敵に渡っていい品物ではない。 「それをどうしたんだ!!」 思夜が式神から本を受け取ってこちらを振り返った。 「ほしいものは…盗むだけよ」 思夜が片手を振ると若い男の式と巨大な赤ん坊の式もろとも異空間から消え去った。 「護法之書…!!」 「吉綱、あわてるな。そんなにあわてなくてもあれは常人に扱える品じゃない」 「相手が常人ならな。けどあれは鬼だ。どうなるかなんて分からない」 「制多迦、吉綱もう戻らないとここは崩れるわよ」 烏倶婆哦の言うとおり地面には亀裂が入り、空気はよどみが生まれ始めていた。 急いで自宅に戻ってくると藤原氏はまだソファに寝たままだった。異常はない。護法之書が消えているということ以外は。 「どうすれば…!!」 「今はどうすることも出来ないだろう?まだ待っていろ。不動はどっちにしろすべてお見通しだ」 父親を寝かせてある部屋から移動して、セイは落ち着きがない吉綱をなだめていた。 「ところで、あたしずっとここに住んでいいかしら?」 「はぁ!?」 突然の申し出に吉綱、セイ、双方から驚きの声が上がった。 「う、烏倶婆哦…不動明王に仕えている八大童子なら一応帰らないとまずいんじゃ…」 「何言ってるのよ。制多迦だっているじゃない」 「俺は仕事だ」 「えー!!」 「どうかしましたか?」 窓の外から声が聞こえた。吉綱が用心しながら窓を開けると、そこには人型をとって黒髪黒目、見た目の年齢にふさわしい明るい色のスーツを着た清浄が口元に笑みを浮かべて立っていた。 「清浄!!なんで今まで来なかったんだ!!」 「明王から所用を頼まれてでていたんです」 清浄が来たのを見た瞬間、烏倶婆哦の態度が目に見えて硬くなった。烏倶婆哦をそこまで硬くしてしまうほど清浄は何をしたのだろうか。 「清浄、用件は?」 「帰るのをぐずっているであろう烏倶婆哦の回収」 ここで清浄が烏倶婆哦を見た。もうすでに烏倶婆哦はなみだ目だった。 「烏倶婆哦、帰りますよ。ぐずってないでさっさと帰ってくれれば説教なんてしなくてすむんですから、自分で考えて行動しなさい」 「だ、だって…」 清浄が無表情になって吉綱を呼んだ。 「吉綱殿、説得していただけませんか?」 「え?」 「多分あなたの説得が一番効くでしょう」 吉綱が向き直ると烏倶婆哦に近づいた。多少笑顔が引きつっている。 「う、烏倶婆哦…戻らないと不動明王も困るだろ?」 「あのおじさんなら自分で勝手に何とかするわよ」 「おじさん…」 「あの中年をおじさんと呼んで悪い?」 「いや、こ、この際呼び方はどうでもいいから戻ろうよ。烏倶婆哦にしか出来ないことだってあるだろ?」 「清浄の文句聞いて、他の人に遊ばれて?」 どれだけ人に遊ばれているのだろうか…。 「ほ、他にも何か…」 「あるわけ…」 「烏倶婆哦」 清浄がにっこりと笑った。確実に怒っている…。 「そんなわがまま言ってると無限の地獄へ突き落としますよ。3年ぐらい地獄でさまよっていたいですか?」 烏倶婆哦はものすごい勢いで首を横に振ると大人しく清浄にしたがって帰っていった。 二人が帰った後しばらくは吉綱もセイも固まっていた。吉綱がやっとこんなことを言い出した。 「烏倶婆哦にあだ名をつけるなら…」 「なんだ?」 「台風一号で」 セイがすごい勢いでふき出した。 必死です。ぶっ倒れそうです。がんばった。がんばった俺。体調の悪さと戦いながらよくここまで書き上げた。 本当にどこまでも自分をほめたい気分。 ちょっと次回予告入りましょうか。 次回、護法之書第五話は突然話が引き締まる!?ここからテンションは急降下。正直暁さんがかっこいい第五話です。新たな八童子が二人登場しますよ。 |