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第五話(下)


慧喜(えき) !!」
 相変わらず術に捕らわれたままの吉綱が叫んだ。
「そう焦るな。問題ない」
 笑いを口元に浮かべながら慧光(えこう) が止めた。慧光のそんな様子に吉綱は苛立ちを覚えた。
(あずさ)
 吉綱の胸ポケットに入っていた万年筆が反応し、術を避けるようにして外に飛び出した。瞬き一つで白狐(びゃっこ)に戻る。
「待て」
 梓に指示を出そうとした吉綱を制して慧光が梓を捕まえた。梓は逃れようと体を捻っていたが慧光がしっかりと胴をつかんだので動けなかった。
「どうして…!!」
「言っただろう。問題ない。むしろ手を出すと怒られる。黙って見てろ」






 手を顔の前に出して虫たちの衝撃を慧喜は和らげた。それでも虫たちは服や皮膚に無数の傷をつけていく。三叉戟で虫を叩き落し、慧喜は手をどかした。
「やっぱりぼくは無傷だよ」
 巨大な赤ん坊がいたところに一人の少女が立っていた。右手で虫を操り、薄茶の瞳でこちらを楽しげに見ている。
「お前…笙か?」
「そうだよ、お姉さん。ぼくの鉄壁の守りを破ったのはお見事だけど、ぼくに傷はつけられなかったね」
 二つに分けて縛った髪を風になびかせた。幼さの残る風貌で笙は無数の虫を操っている。
 赤ん坊の姿は虫を集めて作った鉄壁の守り。本体をその守りの中においてまるで敵は赤子だと思わせるような細工をしていたのだ。
「ずいぶん器用な…」
「うん。でも鉄壁の守りがなくなったぼくが操るのはさっきの三倍の虫たちだから…」
 笙がすばやく動いて虫に指示を送る。虫たちは慧喜を全角度から隙なく狙う。
「あんまりなめてるとどうなっても知らないよ」
 その言葉を合図にして虫たちは慧喜に一斉攻撃を仕掛けた。
「さよなら。無表情なお姉さん」
 笙が口元だけに笑みを浮かべて笑った。周りにいる虫たちもそれに呼応するように羽ばたきの音を大きくした。
「なめてるのだどっちだ」
 言葉ともに虫が四散した。四散した虫たちは例外なく真っ二つに切られている。その真ん中で無数の傷から血を流した三叉戟を構えて慧喜が立っていた。笙との間合いを一気に詰める。
「さよなら。小細工好きの式神さん」
 笙を守るようにして虫が集まったが、慧喜が一振りでそれらをなぎ払う。自分を守る虫がいなくなったところで笙が苦笑して手をあげた。
「まいったよ」
 慧喜の三叉戟が虫を操る少女、笙の胸を貫いた。






 制多迦(せいたか)は血に染まった智剣を軽くはらう。目の前には満身創痍(まんしんそうい) の稜がいた。
「本気出してた?」
「さぁ。どうだろう。勝手に想像しろよ」
 制多迦が稜の左脇腹を狙って智剣を叩き込んだ。稜は左手を顔の脇につけて、右手でそれを止める。智剣を跳ね上げると左手をすばやく前に突き出した。制多迦は布を犠牲にしてそれを避ける。左肩から右にかけて結んでいた真っ赤な布が落ちる。制多迦の左肩があらわになった。
「へぇ。傷跡なんか残るんだ。それをやったら痛いかな」
 稜が制多迦の左肩にある深い傷跡に向けて右の短剣を振り下ろした。智剣でそれを跳ね飛ばす。これで稜の短剣は一本になった。
「試すな。清浄と同じこと考えるんじゃない」
 制多迦は暗赤色の髪をなびかせて、稜の右胸を狙った。
「おんなじこと考える人、仲間にいるんだね」
 左手で智剣を止めた。
「いつまでやってる気だ、制多迦」
 笙と決着をつけた慧喜が声をかけた。制多迦はそれを聞いて口端を吊り上げる。
「そうだな」
 稜の左腕を跳ね上げて、持ち方を変え、右手を押し出すようにして稜の首をかき切った。稜の体はゆっくりと沈み、赤く染まってやがて動かなくなった。
「こいつ生身の人間だったのか…」
 智剣を金剛杵(こんごうしょ)に戻して、赤い布を結びなおしながら制多迦が言った。慧喜が稜を一瞥した。
「いや。死体に魂を寄せていただけのようだ」
 今まで遠くから見ていた思夜が近づいてきた。表情には何も浮かんでおらず、ただ稜を見ている。
「本命の登場か?」
「お前らまだ戦う気なの?」
 吉綱がかけられた術を今さっきやっと、解いてやった慧光が立っていた。その横に不機嫌な吉綱と梓もいる。
「そんなに怒るなよ。ちゃんと解いてやっただろう?」
 ぶつぶつと文句を並べている吉綱を制多迦と慧喜のほうに押しやった。
「そいつら治してくれ。あいつの相手は俺がやる」
 慧光が笑いながら言った。五鈷杵(ごこしょ) を取り出すと、走っていた。
「慧光は呪術を使うのか?」
 吉綱が慧喜の傷の具合を見ながら言った。
「あれは清浄ともお前とも違う種類の呪術を使うんだ」
 制多迦がしぶしぶといった体で慧喜の横に座った。吉綱が薬師印(やくしいん) を結んで唱えた。
「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」
 吉綱の唱えた真言が制多迦と慧喜の傷を治していった。
「言っとくけど、応急処置だから」






「あんたが仇をなす者?」
 思夜がやっと慧光のほうを向いた。そしてわずかに微笑む。
「そうね。でも私はあの方に仕えているだけだから仏教神がどうなろうがどうでもいいわ」
「そう。でもやめてもらわないとこっちの仕事が増えてかなわないんだ。やめてくんないかな?」
「やめさせたいのなら私を倒してみたら?倒してもあの方は止まらないでしょうけど」
 慧光は微笑を浮かべて目を閉じた。堅実心合掌(けんじつしんがっしょう)を結び蓮華部心印(れんげぶしんいん)に結びなおした。
「アビラウンケン」
 慧光の呪術が思夜のまとう妖気を神気に変えていく。
「今更、浄化してまっさらな魂に戻そうとでも言うの?」
「そうだと言ったら?」
「偽善ね。もう遅いのよ」
 思夜が右手を掲げた。彼女に従う式たちが現れ、慧光に一斉攻撃を仕掛ける。
刑杖(けいじょう)を打ち破るものよ。刑杖主(けいじょうしゅ)よ。刑杖を転ずるものよ」
 文殊剣印(もんじゅけんいん)をつくり、慧光は式を切った。
「刑杖に善巧(ぜんぎょう)なるものよ。刑杖をよく()するものよ。善く持するものよ。善く持するものの主よ」
 大元師明王印(だいげんしみょうおういん)を結び残りの式を一掃する。黄褐色の目を思夜に向けた。
仏陀(ぶっだ)を知見するものよ。一切の陀羅尼(だらに)を転ずるものよ。善く転ずるものよ。僧伽(そうか)の非を除滅(じょめつ)するものよ。法を修学せしめるものよ。一切の語言(ごげん) に通達するものよ」
 普賢印(ふげんいん) を作る。思夜の妖気が慧光の神気に絡めとられていく。
「おいで。式よ」
 思夜がわずかに残った妖気を使って式を召喚した。馬のような式がいなないて慧光めがけて突進する。
「獅子の遊戯(ゆうぎ) 自在なるものよ。(じゅう)せり、住し、住せんことを、成就せしめよ」
 覆手合掌(ふくしゅがっしょう) を式に向けた。慧光の神気がほとばしり、式を消滅させ、思夜の腹を貫いた。思夜がうめいてその場に倒れる。彼女に従う式は全滅した。
「討ったのか?」
 制多迦が思夜に近づく。
「思夜!!」
 どこからか声とともに妖気が漂ってきた。制多迦が身構えると、たった今異空間に到着した(あかつき) が駆けてきた。そして、思夜を抱き起こす。思夜の口からわずかに吐息と血が出ていた。
「おい!!思夜!!」
「あ…暁…」
「なんでお前が倒れてんだよ!!こいつら倒すのは簡単だって言ってたのはどいつだよ!!俺がやっと傷が治ったから来てみれば、なんでお前が…」
「知らない、わよ…ど、うして…今、来るの…?も…もっと後に来れば、暁が勝てたかもしれない、の…に…」
 思夜の腕が力なく地面に落ちた。思夜の服のちょうど真ん中が赤黒く染まっていく。
「思夜…?思夜……思夜!!」
 思夜の骸を抱えて暁が立ち上がった。目から涙が流れていた。それを拭うこともなく、ただ空虚な目で制多迦を見た。制多迦は暁が放つ妖気の変化に気がついて目をむいた。金剛杵を抜いて降魔(ごうま)の剣に転じさせると暁の左腕を打った。暁はそれをかわそうとも、止めようともしなかった。暁の左腕は軽々と飛び、残された二の腕からはとめどなく鮮血が流れ出している。
「いい。左腕一本ならやる。来い。お前ら全員相手になってやる」
 思夜を隅に寝かせて暁が刀を抜いた。









 暁さんファンごめんなさい。暁さんはあっさり右腕だけになりました。
 あとがきでは他にいろいろ書こうといてたんですが、ラスト書いた直後だとどうしても暁さんに謝りたくなった。
 でも暁さん、危うくラブロマンス始まっちゃうかと思いましたよ。ラブ要素を入れないようにと必死に書いてたんですがどうしてもね…。いいかげん思夜殺そうと思ってたし…。
 今回の新キャラはまず慧光ですね。笑い上戸です。彼は攻撃系の呪術を使います。しかも真言を日本語に訳して。きっちり印も使って。作者泣かせです。
 そして慧喜ね。ちょっとバトルシーンを書きながら「姉さん!!」て言いたくなるような人でした。無口で無表情ですが、この人書きやすいよ。基本的に呪術を使わないめんどくさくない人は好きです。
 吉綱のお兄さん道孝ね。これは「道孝兄さん」と呼んでいます。いい人ですよ。一番まともな人ですが、出番がないので吉綱が長男だと思われがちだったので急遽出しました。
 あと稜と笙。笙の赤ん坊の姿、想像して見たい人は「千と千尋の神隠し」の坊を思い出してください。あのままです。ちょっと笙(少女のほう)を殺すのは惜しい気もしましたね。あれはいいキャラだった。
 思っていたよりも短くなった護法之書第五話ですが次は暁さんマジ切れです。暁さん大活躍(?)ですよ。その他の童子も次で出てきますのでやっと全員出せますね。あの方が出てくるかも!!な第六話をお楽しみに。



2007年7月19日






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