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第六話(下)


 慧喜は心を落ち着けようと深く息をついた。暁は平然と彼女の前に立っている。刀を上げてはそこに付いた慧喜の血を楽しそうに眺めている。触れれば自らの体が壊れかねない神気を含んだ血でなければ刀をなめそうだ。
 暁は血まみれの慧喜を見て困ったように笑った。
「こんなもんだっけ?もうちょっと強いと思ってた。これじゃあ遊びにもならないな」
「そうか」
 慧喜は虚勢(きょせい)を張って三叉戟を構えた。血を流しすぎて立っているのも精一杯だ。これであとどれくらい動けるか。
 暁に向かって戟を振り下ろす。ひらりとそれを避けると刀をがら空きの左脇を叩いた。鈍い音がして慧喜が血を吐き出す。くず折れそうになる体を戟で支えて何とか立っている。
 暁が慧喜からの反撃を恐れて数歩後ろに下がった。途端に慧光が腕を右手で捕まえ、左手で剣を暁の喉に押し当てた。血が剣を伝って慧光の手を濡らした。
「終わりにしよう。もう慧喜も限界なんだ」
「その申し出は受けかねるな」
 そう言うと右腕を翻して、慧光の右肩を打った。衝撃で慧光に出来た隙を暁は見逃さず、今度は逆に慧光の腕が動かないように後ろに捻ったあと右手で慧光の喉に刀を当てた。
「お前らだって首が落ちればさすがに再生は不可能だろう?」
 暁が冷たい微笑を口元に浮かべてつぶやいた。
 慧光は一瞬観念したような表情を浮かべたが、すぐに笑い出した。
「何がおかしい。慧喜童子もこれじゃあ動けないだろう?」
 それでも慧光は笑い続けた。その口は何かをかすかに唱えている。
「まさか…!!」
 暁が慧光の首を切ろうと刀を動かした。しかし刀はわずかに築かれた結界によって阻まれる。
「魔の怖畏(ふい)を離れることをよく悟りたる覚者(かくしゃ)において、引摂(いんせつ)したまえ」
 術が発動し暁を浄化しようと神気が覆いかぶさる。暁はそれを一文字に切って逃れた。
「浄化とはずいぶんいやな技を使うやつだな」
 暁は術に触れ、火傷のようになった部分を眺めた。慧光は笑って答える。
「少しは面白くなってきただろう?」
 慧光が後退して慧喜に近づいた。遠くにいてもその息づかいが聞こえる程度に消耗してしまっている。
「悪いけど治癒は出来ない」
 治癒の力は持っていないと慧光が言った。
「分かってる」
 慧喜の物言いに顔をほころばせた。慧光が剣を消して印を組む。
「帰命したてまつる。忿怒尊(ふんどそん)よ。金剛尊(こんごうそん)よ。摧破(さいは)したまえ」
 五鈷杵(ごこしょ)三鈷戟(さんこげき)に転じた。左手でそれを振り回し、切っ先を暁に向けた。暁は何もないように涼しい顔をしている。
 慧光が駆け出した。暁は刀を軽くはらって三鈷戟を止める。
「慧喜童子より弱いようだね。慧光童子?」
 一歩後ろに下がって戟を構えなおした。
「そりゃね。戟だけきわめてるわけじゃないから…」
 暁が刀を鞘におさめ、左足を引いた。右手を柄にかけて、慧光がいつ攻撃を仕掛けても対応できるようにしている。
 慧光が左に一歩動いてから向かって来た。距離を読み、暁はすばやく慧光めがけて刀を引き抜いた。しかし刀は慧光をかすりもしなかった。暁の攻撃を読んでいた慧光はさらに右にずれて、腕を狙って三鈷戟を突き出した。
「甘い!!」
 暁は振り向くと三鈷戟を吹き飛ばし、得物のなくなった慧光を袈裟懸(けさが)けに切った。
「慧光!!」
 吉綱の叫び声がこだました。
 鮮血が滴り地面を赤く染め上げていく。慧光は肩を押さえて膝をついた。苦しそうなうめき声がもれてくる。
「次は?それともまだやってくれるのかな、慧光童子」
 暁が笑みを浮かべて刀を膝をついた慧光の頬にピタリと当てた。頬が切れて血が服を濡らしていく。
 結界の中で制多迦が歯噛みした。今出て行ってもこの傷では足手まといになるだけだ。何とかこの状況を打開する方法はないか。
「吉綱…」
「何?」
 吉綱が緊張した面持ちでこちらを振り向く。血の気がうせてきているのは立て続けの治癒で霊力がつきかけているのだ。これでは吉綱も戦うのは無理だろう。さっき倒れた梓は無論のとこだ。
 その時どこからか獣の鳴き声が聞こえた。そして新たな神気が漂う。
「誰だ!?」
 なにかが近づいてくるのが見えた。蛇のような体。そして灰色の空をすごい速さで駆けていく。あれは……。
「龍か…?」
 暁の呟きを聞きとめた制多迦が目を見開いた。龍…それはあいつの…。
 龍がこちらに突っ込んで来た。その背から飛び降りた影は二つ。
「ずいぶん手間取ってるんだな」
 声をかけたのは長身のほう。古代中国を思い出させる甲冑(かっちゅう)を身にまとい、三叉戈(さんさほこ)を手にしている。その瞳は明るい黄緑色。髪の色は(かぶと)で隠れているので分からないが、見た目の年齢は三十代半ば。
「俺の仕事残しておいてくれたのか。それはありがたい」
 どこまでも明るくそう言い切った男は制多迦のほうを見て朗らかに笑った。
「なんだ制多迦」
指徳(しとく)…」
「腹でも壊したのか?食いすぎじゃないのか?」
 八大童子、第四の精進(しょうじん)を司る指徳童子。彼はこの状況を見てそんなことを本気で言えるぐらい明るい考え方を持った人物だった。
「邪魔」
 指徳を押して背後に隠れていた人物が前に出た。十歳前後の少年のような体で上半身には制多迦と同じような、しかし色の青い布を肩から両腕に巻きつけて、栗色とも言うべき髪をつむじの辺りでまとめて、落ちないように丸く布で覆っている。その瞳の色は漆黒。
「倒すんだろ?無駄話しないでさっさと行けよ」
 少年が指徳を蹴って行くようにうながした。見た目の年齢で言えば親子でも通るが、物言いや行動はまったく逆だった。
「行け」
 少年が龍に短く命令する。指徳も三叉戈を手にして慧光と慧喜に手を貸すために走っていった。
 少年は結界を難なく潜り抜け、制多迦の隣に片膝をついた。
「不動明王からの命令だ。それにしてもお前がここまで後手に回るとはめずらしい。いや、これで二度目か制多迦」
 制多迦がその金の瞳を(かげ)らせた。少年は動じた風もなく吉綱のほうを見て頭を下げた。
「はじめまして。矜羯羅、いや吉綱。その姓になってからはまだ一度も会ってないな。八大童子、第三の知恵を司る阿耨達(あのくだつ)だ」
「あ、どうも。それにしても童子はみんな二十歳前後なのかと思ってたら違うんだね」
 阿耨達が目を細めた。
「無駄話をしている暇はないだろ?」
 相手が吉綱でなかったら阿耨達は相手に対して何か衝撃を与えるようなことを言うのだろうが、それだけ言って結界を出て行った。






「慧光…お前いつからそんなに弱くなったんだ?」
 指徳が三叉戈を担ぐようにして持ちながらどこまでも軽く言った。慧光は脂汗をにじませて立ち上がり、後ろに数歩下がった。刀を頬に当てていた暁は下がった慧光をただ見ていた。
「そう言うなら交代。後は頼んだ」
 慧光が指徳のほうを見て淡く微笑んだ。そして慧喜の近くまで行くと声も出さずに倒れた。
「気にするな指徳。消耗しただけだ」
 慧喜がそう言って指徳を送り出す。
「あー…はじめまして。八大童子の指徳です」
「自分から名乗った童子は始めて見たよ。神仏分離(しんぶつぶんり)を目指す一団の暁です。まあよろしくと言ってもそんなに長い付き合いにはならないだろうけどね」
「まったくだ」
 暁が刀を横なぎに払った。指徳は足を動かさずに三叉戈だけでそれを止めてみせた。
「へぇ。結構強いんだね。慧喜童子以上かな?」
「そりゃそうだ。慧喜より弱いって言われたらお前の目を疑うね」
「でも制多迦童子には一歩及ばずかな」
 暁はいったん引くと連続で斬撃を繰り出した。指徳は戈を両手で持ってそれを防ぐ。暁の攻撃に隙はなく、指徳は防ぐことしか出来なかった。
「攻撃してこないのかな?」
 暁が笑った。指徳が防ぐのに精一杯で攻撃できないのは分かっていた。今回は暁も手を抜いていないので指徳が消耗しきったところでないと勝負はつかないだろう。
「さあどうするのかな…。……!!」
 龍がこちらに向かってきていた。暁が跳躍すると龍は暁が今までいたところに突っ込んで来ていた。
「潰そうとしたのかふっ飛ばそうとしたのか知らないけど、ずいぶん荒業(あらわざ)な」
 龍が暁のほうを見た。龍にしてはだいぶ小さく、二人がやっと乗れるぐらいの大きさだ。その上には阿耨達が乗っている。
「龍を操るのは…阿耨達童子か」
「それがどうかしたか?」
 暁の小さな呟きを聞きとめ、阿耨達が聞いた。
「いや、これで八大童子は全員会ったなと思って」
「ああ、そうか。清浄と烏倶婆哦にはもう会ったんだったな。それはすごい事だ。祝ってやろう」
「遠慮しておくよ。そろそろ片付けよう」
 暁が龍ごと阿耨達に切りかかった。龍は上昇して暁を避けるとどこからか雲を生み出した。雲は徐々に発達し、異界に雷雨をもたらした。龍は阿耨達ごと雲の中に飛び込み雷を操る。
「さすがに雷雨まで降られたんじゃ手に余るな」
「そろそろそう言うと思っていた。帰るぞ」
 いつの間か暁の背後に男が立っていた。雨に濡れた髪を邪魔そうにかき上げる男から放たれるのは妖気。そしてかき上げられた前髪の下に隠れていた角を隠そうともしていない。
東雲(しののめ)…」
 暁が忌々しげに舌打ちした。
「目上の者に対して名指しとはいい度胸だな」
 東雲が凄絶に笑う。瞳は何者をも信じない冷たさを宿していた。
「…月卿(げっけい)、何の用だ」
「言っただろう。帰るんだ」
「なぜ…!!」
 暁が口調を荒げた。東雲が現れてから苛立ちがつのっているようだ。
金鏡(きんきょう)様の命令だ。ほら」
 東雲が地面に円を描く。円の内部が映像を映し出す。
 黒い布を頭からかぶった者が立っていた。唯一口だけが布から出ていて言葉をつむぎだす。
「暁、戻って来い。ここでお前を失うわけにはいかない」
「金鏡様、では私が遣いの者たちにとどめを」
「ならぬ!!」
 金鏡が激しい口調で東雲を止めた。東雲が片眉を上げる。
「なぜでしょうか」
「東雲、私がなぜ月卿の名をお前に与えたのかよもや忘れてはおるまいな」
 東雲が片膝をついて平伏した。
「もちろんですとも。すぐに戻りましょう」
 東雲が立ち上がると、東雲が現れてから呆然としていた六人に金鏡が話しかけた。
「不動に仕えるものたちよ。この続きはこちらに来てからやっていただこうか」
 金鏡が手をかざすと円の上にまた違う世界に通じる穴が作り出された。
「ではまた」
 金鏡が消える前に吉綱が急いで言った。
「お前は誰だ!!」
「そうだな…この者たちの頭だ」
 それだけ言うと金鏡は消えた。
 それを確認すると東雲は金鏡が作り出した穴に飛び込んだ。暁は隅に置いてあった思夜の(むくろ)を抱え、一度だけ振り返ってから東雲と同じように飛び込んだ。
「あれが頭か」
 制多迦がやっと立ち上がって言った。傷はとりあえず治してあるがまだ痛みは取れていない。
「行くだろう?」
 五人に確認を取ると皆一斉にうなずいた。
「でもこの傷じゃあ…」
 慧光が眉をひそめた。慧喜は重症で、制多迦はいまだに完全ではない。吉綱も梓もそして自分も力を消費しきっている。今まともに動けるのは指徳と阿耨達だけだ。
「行かないわけにはいかないだろう?」
 吉綱が困ったように笑う。行っても共倒れになることは分かっているがここで行かないわけにはいかない。
 その時、空のかなたから尋常でない神気が下りてきた。神気は全員を包み込むと、傷を癒し、力を完全に回復させた。
「不動明王…また勝手にこんなに力を使って…」
 阿耨達がぶつぶつと文句を言った。指徳がその横で、大声で笑いながら阿耨達の肩を叩く。
「いいじゃないか。全員治ったんだ。全力で戦えるだろ?」
 言い終わらないうちに指徳が穴に飛び込んだ。舌打ちしながら阿耨達がその後に続く。慧光、慧喜もそれに続いて飛び込んでいく。
「帰り道考えてないな、絶対に」
 制多迦が困り顔で言った。しかしその表情はどこか楽しげですらあった。
「それは帰るときになってから考えればいいじゃないか」
 吉綱と制多迦も穴に飛び込んでいった。













 第六話をお届けできたことを心から感謝します。
 どうですか?バトルだらけの第六話。バトル小説だったんだと作者が気づいた。
 まずは誰から紹介しましょう?やっぱりあれですよね。ミスター・ポジティブシンキングとこ指徳。はっきり言っておっさんです。最初からこの人おっさんでしか出てこないて…。清浄をおじいさんにするのをやめたところらへんからみんな二十歳前後にしようと思ってたんですがダメでした。この人の甲冑は仏像の指徳童子そのままにしています。でも友人に甲冑は描けないといわれましたね。誰かチャレンジャーいませんか?
 指徳の相方、阿耨達は指徳のおっさん設定が決まったところから、ならば若くしてしまえってことでこんなことに。彼は呪術は使いません。龍に乗って龍を操るだけです。頭になんか乗せてる人とかいないなぁと思いお団子状態になっています。昔の中国人ぽい。名前が長いと思ったら「あのくた」でもいいですよ。
 東雲は…嫌われるためだけに存在しています。どうぞ盛大に嫌ってやってください。でもどうしても眼鏡かけさせたくなるんですよね。目の悪い鬼はいないから必要ないんですが。月卿と呼ばれていましたが、これは平安時代の貴族の一番高い位、公卿の異称です。ここではあのお方の右腕(側近)という意味。東雲に「さん」付けはしないでください。
 金鏡は、そうあのお方です。奇妙な名前していると思いませんか?これ本名じゃないんですよ。自分でつけた異名ってところですね。
 さあ回を追うごとにバトル色が濃くなってきました。暁さんが残虐性を増した気がするのはきっと気のせいではないはず。でもそんな暁さん以上に黒いのは東雲ですから。
 言い忘れましたが、暁が刀をなめそうだってところ、実際にはやりませんよ。神とか関係なくやりませんよ。実際にやるのは東雲。




2007年8月2日





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