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護法之書
第八話(上)


 制多迦(せいたか)が素早く動いて東雲(しののめ)を打とうとする。それを軽く避けて東雲が欠伸をかみころした。
「今度は手を出すからな」
 そう宣言して吉綱が制多迦の横に並んだ。手で剣印(けんいん)を組み、目はしっかりと東雲に据えられている。制多迦はそれを一瞥して一度、金剛棒(こんごうぼう)をしまった。
「間違えるなよ」
 制多迦の言葉に吉綱が笑みを浮かべた。
「当然」
 吉綱が深呼吸すると、取り巻いていた風が急に強くなった。
臨兵闘者皆陣列在前(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)!!」
 剣印をなぎ払った。吉綱が狙うのは傍観していた金鏡(きんきょう)
「どこを狙っている」
 金鏡と吉綱の間に東雲が割り込んだ。東雲の妖力が吉綱の通力を相殺させる。
「金鏡様に手を出すな。お前らの相手は俺一人で十分だ」
 東雲が右手を突き出した。甚大な妖力が八人に襲いかかる。
「あまねき金剛尊(こんごうそん)に礼したてまつる!!」
 慧光の神通力(じんつうりき)が爆発し、妖力をすべて押しのけた。
 東雲は舌打ちして、神通力を避けた。
「あたしをさしおいて何面白そうなことしてるのかしら、月卿(げっけい)
 後ろから声がして皆が振り返った。白い長衣をまとった男、いや鬼が立っていた。
「気配がしなかった…!!」
 吉綱が驚愕の声をあげる。八大童子は新たな敵が現れたことで警戒を強めた。
 月卿こと東雲は現れた鬼を見て顔をしかめる。金鏡がどんな表情をしているかは見えなかった。
「何をしに来た、(くれ)
「くれ?」
 東雲が言ったのがこの男の名前なのかと、阿耨達(あのくだつ)が呟いた。
 阿耨達の声に気がつき、男がこちらを見る。
「違うわよ〜。く・れ。くを強く発音してくれないと、なんか終わっちゃういそうだわ」
 制多迦の顔がひきつった。他も同じような反応をしている。
「…烏倶婆哦(うくばが)、同類が現れましたよ…」
「こんなの同類じゃないわ!!愛が足りないのよ!!愛が!!」
 慧光(えこう)が吹き出した。発作を起こしたように笑いが止まらない。
「烏倶婆哦…わざわざ慧光のツボに入るようなことを言うな…」
 阿耨達が呆れ顔で烏倶婆哦を見る。慧喜(えき)や吉綱も見ている。さすがにばつが悪くなったのか烏倶婆哦はおし黙った。
「月卿、これは何?」
 暮が慧喜と対峙していた男を指差した。男は清浄の捕縛(ほばく)にかかって転がっている。
「あれが勝手に連れて行って負けたらしい」
 東雲が(あかつき)の身体をしめした。それはすでに青白く、生気は完全に感じられない。
「そう…。負けちゃったの…。残念だけどもう用済みね」
 暮が転がっていた三日月型の剣を手にして、男の右胸を貫いた。男の口から血が溢れ出てくる。
「見苦しいわ。そのまま消滅しなさい」
 暮がそう言うと男の身体は砂のように崩れていった。
「な…!!」
 吉綱が驚愕の声を洩らす。
「あたしが作った中でも優秀作だったのにぃ。だめね。死体に魂を寄せるのは難しいわ。あの完璧な肉体をろくに活用できてないじゃない」
「遊んでいるからだ」
 残念そうな暮を東雲の言葉が切り捨てる。暮が眉を寄せた。
「何よ。いいじゃない。言われたことはやってるわよ」
 暮が暁の遺体を一瞥して、東雲と金鏡に笑いかけた。
「ねぇ、あれもらっていいかしら?」
 暮が指しているのは暁だった。制多迦と吉綱の顔に緊張が走る。
 東雲は暁を見てから、振り返って金鏡を見た。金鏡は何も言わない。
「別にいいが、あれは使えるのか?対等程度にしかやりあえてないぞ」
 暮が残忍に笑った。
「それで十分よ。丈夫な鬼の身体の方が断然使えるもの」
「何をする気だ!!」
 吉綱が詰問(きつもん)する。
「何って、死んでもあの方のために働いてもらおうって言ってるだけじゃない」
 暮がゆっくりと歩きだした。吉綱が暁の遺体の前に移動して印を組む。
「邪魔よ。どきなさい」
 暮が吉綱にとびかかってくる。
「臨兵闘者皆陣列在前!!」
 吉綱の通力が作り出す(やいば)を暮はものともしないで、吉綱に手を伸ばした。
「させるか!!」
 吉綱の背後から通力の矢が駆け抜けた。烏倶婆哦が放った矢を叩き落として、暮が暁に手を伸ばす。
「邪魔なのはお前だ」
 暮の前に慧喜が立ってその手をはじく。(げき)の切っ先を向けて、暮を睨む。
 暮は立ちはだかる慧喜を見て、肩を竦め苦笑した。
「仏神ていうのは揃いも揃って物好きなのね。そんな(むくろ)どうするのかしら」
「掟に従って葬るだけだ」
 阿耨達が答えた。
 烏倶婆哦が慧喜の後ろから暮を狙った状態で抑揚を努めて押さえて言った。
「吉綱、こっちの狂ったのは任せて」
「…分かった」
 吉綱はうなずいて、東雲と対峙した。
「俺を忘れるなよ」
 制多迦が吉綱の横に並ぶ。
「俺達のこともな」
 指徳(しとく)と阿耨達がさらに並んだ。それを見て吉綱が印を結びながら笑った。






 慧喜が暮との距離を測りながら、金鏡を横目で見た。金鏡は動く気はなさそうだ。それならばしばらく動くなと心で念じ、三叉戟(さんさげき)を構えなおす。慧喜の眼光が鋭さを帯びても暮は動じた風もなく、ただ微笑を浮かべて慧喜の出方を伺っている。
「本当に狂ってる」
「あぁ」
 慧光の言葉に短く返す。慧光は降魔(ごうま)の剣を構えて慧喜の後ろから暮を見ていた。後ろのいるのは自分の実力を熟知した上での行動だ。
「まさに『狂人』て呼ぶのにふさわしいかな…」
「何?」
「さっき戦ってた相手がめずらしい武器を持ってて、聞いたら『狂人が作った』とか」
「こいつのことなのか?」
 慧喜と慧光の会話を聞きつけ、暮が話に割り込んだ。
「あら、一体どれと戦ったのかしら?基本的に武器なんかの開発もあたしの仕事よ〜。そこで転がってる鬼の武器も私が作ったの。自信作だったんだけど無事?」
 暮が言っているのは明らかに暁の刀のことだった。二人の警戒心が強まる。
「そんなに警戒しなくったって大丈夫。あなたたち全員片付けたら後でゆっくり回収できるものね。さぁ、お眠りなさい」
 暮の言葉が力を持つ。暮と対峙していた慧喜、慧光、烏倶婆哦が頭を抑えて地面にひざをついた。頭の中をかき乱されている。頭が割れるような錯覚に陥り、意識が朦朧(もうろう)としてきた。
「うぁ…」
 言葉にならないうめき声を上げて烏倶婆哦がその場に倒れた。片膝をついていまだに暮を見据えてはいるが慧喜もだいぶ辛そうだ。術に耐性のある慧光ですらもまともに立っていられないのだから、耐性の少ない慧喜が膝をついただけでいられるのは闘争本能の賜物だろう。
「そんなにがんばらなくていいのよ〜。すぐに倒れてくれたほうがあたしとしてはやりやすいんだから」
 慧喜がそれでもなお暮を見据えていると、暮が不気味に口端をつり上げた。
「じゃあ、もうちょっと強めても大丈夫よね?」
 暮がそう言った瞬間に頭に激痛が走り、慧喜が言葉にならない悲鳴を上げて両手をついた。慧光の額には脂汗が滲み出している。
「そろそろ限界かしら?心が壊れる前に気絶したほうが楽になれるわよ」
「オン!!」
 青色の経巻が暮に巻きつき、締め上げた。途端に慧喜、慧光は痛みから解放される。
「何をしているんですか。これぐらいの術は自分で防いでください」
「助けてくれたのはうれしいんだけど、この術を防げるのはお前と矜羯羅(こんがら)ぐらいだよ…」
 慧喜も無言で同意する。
「修行が足りないんですよ。そろそろ起きなさい」
 清浄(しょうじょう)が気絶していた烏倶婆哦を無理やり起こす。それでも烏倶婆哦の意識はまだ朦朧としているようで、やっと出てきた声は本来の低い男のものだった。
「頭痛ぇ…気持ち悪……」
「さっさと立ちなさい。敵に背中を見せてどうするんですか」
「あなた、なかなかやるようね。本来の力出しても耐えられるかしら?一応言っておくけど今使った精神攻撃、あたしにとっては攻撃の域にも入らないわよ」
 暮は微笑を浮かべたまま、やすやすと清浄の捕縛術を解いた。それを見ても清浄はまったく顔色を変えない。
「あなたたちに夢を見せてあげる。幻術(げんじゅつ)っていう夢をね」






「臨兵闘者皆陣列在前!!」
 吉綱が剣印を結んで九字(くじ)を唱えると、風が吉綱の霊力をまとって東雲に襲いかかった。衣が突風を受けて翻っても東雲は不機嫌そうな表情を動かすことなく、自らの妖力でそれを打ち破る。
「どいてろ」
 制多迦が吉綱を押しのけて、腰にかけてある金剛棒(こんごうぼう)を手に取り踏み込んだ。東雲は金剛棒を軽く受け流すと、肩をすくめた。
「お前らを討ち取っても大して情勢は変わらないと思うんだが…。まぁ、金鏡様の言う通りに駒は動くだけか」
「独り言にしてはやけにうるさいな」
 制多迦が間合いを詰めて金剛杵を振り下ろす。またもやそれを避けてみせて、東雲は本当に退屈そうに両手を振った。
「わざと聞こえるように言ってるんだから当たり前だな。もうちょっと本気を出せないと退屈で死にそうだ」
 しゃべっている間も繰り出される制多迦の攻撃を全て紙一重で避けていく。本気を出せないと言う東雲の手に得物はない。
「得物も持たないでお前はふざけてるのか?それとも俺たちを馬鹿にしてるのか?」
「答えるなら、両方だ」
 その答えを聞くと制多迦が苦々しげな顔をする。今まで片手で握っていた金剛杵を両手で握ると渾身の力で振り下ろした。しかしその攻撃も東雲は軽く避けてしまった。暁との死闘から戦い続けている制多迦に疲労の色が浮かんだ。
「あんまり遊んでるものいけいないな。俺にとってお前らは障害ですらないのだから、さっさと死ね」
 東雲が右手を上げ、妖力で彼らを圧する。
 吉綱が素早く印を組んで結界をはり、阿耨達が龍に短く指示を送った。東雲の妖力が及ばないように雲に潜っていた龍は少し姿をみせると東雲めがけて雷が落ちた。落雷が東雲を眩いほどに包み込む。
「やったか!?」
「いや…」
 制多迦の問いに眉間にしわを寄せた阿耨達が短く答えた。そのすぐ後に落雷が真っ二つに割れるようにして地面に吸い込まれていった。そしてその中央に大して傷を負っていない東雲が立っていた。
「甘いな。やる気があるとは思えない。こんなことなら暮に半分任せるほどもなかったか。全員でかかってきてくれた方が早く終わったかもな」
 東雲が掲げていた右手を下げ、それと同時に吉綱の結界も解けていく。東雲が深くため息をついた。
「それが全力ならせめてまとめてきてくれないか。一人づつ相手にするのは面倒だ」










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