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護法之書
第九話(上)


金鏡(きんきょう)様、心配なさらずともこんなやつらすぐに片付けてしまいますよ」
東雲(しののめ)、誰が心配などした」
 金鏡は相変わらず黒布を目深にかぶっているので表情が読めない。八人は警戒を強めた。金鏡が加わったら間違いなく手にあまるからだ。
「では…」
「言っただろう?興が冷めたと」
 金鏡が東雲に近づいていく。東雲が怪訝(けげん)な顔をする。
「金鏡様が戦うのですか?私に任せていただければ…」
「興が冷めたのだよ。月卿(げっけい)、お前の戦いに」
 東雲がはっとして刀を構えた。金鏡はそれが見えていないかのように東雲に近づく。
「金鏡様、お下がりください。私が貴方に傷を負わせる前に」
「お前が?私に?」
 金鏡が声をたてて笑い出す。それが心底可笑しいとでも言うように。
「金鏡様!!」
「月卿、お前は私に傷などつけられない。傷一つつけることは出来ない」
 金鏡が東雲に近づいてくる。ただならぬ気配を察知して東雲が刀を突き出した。金鏡の腹部に刀はつきささった。それでも平然と金鏡は東雲に近づき、額に触れた。
「月卿、役目は終わった。永遠に眠れ」
 東雲の膝が折れる。金鏡の方に伸ばした手は空を切り、彼は地面に崩れた。自分の腹部に触れ、手に付いた赤い血を驚愕の表情で見る。
「き、金鏡…様…」
 金鏡が自分の腹部に刺さっている刀を抜いて東雲に投げた。金鏡の腹部からは血が流れ出ない。
「眠れ。私に付き従いし孤独な鬼よ」
 東雲は静かに目を閉じ、絶命した。
「今のは…どういうことだ」
 制多迦(せいたか)が呆然と呟く。金鏡は八人の方を向くと黒布から顔を出した。誰もが我が目を疑った。疑わずにはいられなかった。
「あか、つき…」
 布に隠れていた顔は確かに死んだはずの(あかつき)だった。金鏡、いや暁がにやりと笑う。
「どうした?八童子」
「どうして…どうしてお前が!!なぜ生きている!!」
「そんなに熱くなるなよ、制多迦童子(せいたかどうじ)
 今まで金鏡と呼ばれていた者は確かに暁の顔で、暁の声で目の前にいる。吉綱(よしつな)は暁の骸の方を見た。今も確かにそこにある。
「どういうことだ…」
 吉綱が抑揚を努めて抑えながら聞いた。
「簡単なことだ。それはただの影だ。俺の姿を写し、俺が思ったとおりに動くただの傀儡(くぐつ)
 暁が笑った。その笑みは前に見たものより、強くはっきりと残忍さを映している。
「全ては、嘘だったのか」
「まさか。俺はあの方と俺自身が同一人物だと言わなかっただけで、嘘をついた覚えはない。金鏡は暁で、暁は金鏡だっただけだ」
「暁…!!」
 制多迦が瞳に怒りの色をのせた。
「この身体の時は金鏡だ」
 暁、いや金鏡はどこまでも不敵に笑う。
 制多迦は金剛棒(こんごうぼう)を血管が浮かび上がるほど強く握った。
「なぜ自らを殺す必要があった」
「傀儡に分散していた力を統合するため。そのためには生命活動を止める必要があったんだよ」
 金鏡は得物を構えるつもりも、出すつもりもないようだ。
「得物を抜け、金鏡。不動明王の命によりお前を殺す」
「得物を出す必要はない。好きな時に攻撃するといい」
 金鏡の微笑みに制多迦の限界が頂点に達し、金剛棒を大きく振った。金鏡は避けようともしない。金剛棒が金鏡の脇腹にめり込んだ。
「こんなものだったか?傀儡と戦っていた時はもっと強かった気がしたんだが」
「何!?」
 制多迦が顔色を変えた。脇腹に鈍い痛みが走る。骨が折れる嫌な音が響いた。
「どう…い…う…ことだ…」
 金鏡は制多迦に一切触れていない。それなのに脇腹には確かに痛みが走る。
「どうでもいいだろう?」
 金鏡が痛みに顔を歪めることなく、残忍に微笑んだ。金剛棒を無造作に弾く。すでに満身創痍(まんしんそうい)だった制多迦は金剛棒を取り落とした。
「セイ!!」
「藤原…だったかな?焦らなくても、俺から何か仕掛けたりはしないさ」
「それならどうして」
「さあ?全滅する前にその謎が解けるといいな」
 吉綱が印を組む前に制多迦が金剛棒を拾い上げて投げた。金鏡めがけて金剛棒が飛んでいく。金鏡はそれも避けようとしない。金鏡の胴に当たった金剛棒は重い音を立てて落ちる。
「ぐぁ……」
 やはり金鏡ではなく制多迦に衝撃がいき、彼は耐えきれずその場に倒れた。
「セイ!!」
「くっ……き、気にするな…。まだ、大丈夫だ…」
 強がってみせるものの限界が近いのは明白だ。制多迦が顔を歪める。
「…暁、いや金鏡、これは俺の技がはねかえってきてるんだろう?」
「セイ、どういうことだ」
「俺が剣で金鏡を斬れば、裂傷(れっしょう)は俺に出来る。本来攻撃を受けた側にいく傷や衝撃が全部攻撃した側にきている。それはお前が妙な技を使って攻撃をはねかえしているからだ。違うか?」
 金鏡が冷たく笑った。そして頭を振る。
「いいところをついてるとだけ言っておこうか」
「確かにそうかもしれませんね」
 暮との戦いで通力のほとんどを使いきった清浄(しょうじょう)が肘で身体を起こしていた。烏倶婆哦(うくばが)が肩を貸してなんとか立ち上がる。
「清浄、分かったのか?」
「えぇ。まぁ。憶測の域を越えませんが」
「憶測でもいい」
 制多迦が背を向けたまま間髪入れずに言う。
「俺も是非聞きたいな、清浄比丘(しょうじょうびく)
 金鏡が人のよさそうな笑みを浮かべ、烏倶婆哦に支えられている清浄を見る。清浄も微笑みながら見返す。
「間違えれば命はない、ですか?」
「まさか。間違えたら八童子一の知識人ですら解けないって幻滅するだけさ」
「幻滅させないことを祈っておきましょうか」
 緊張感にかける清浄と金鏡の会話にしびれを切らし、吉綱が割り込んだ。
「分かったなら早く教えてくれ」
「吉綱殿、そんなに焦らずとも教えますよ」
 清浄が微笑をかき消して、金鏡に鋭い目線を向ける。
「さっき、いいところをついてると言いましたね?」
「あぁ」
 金鏡は動じた風もなく、笑っている。まるで子供が親に簡単な問題を出したときのような、解いてもらいたくて仕方がないという笑みだった。
「はねかえるというのはそこまで間違っていないでしょう。間違っているのは、技を使ったというところ。ずっと見ていましたが、そのような素振りはありませんでした」
「何が言いたいんだ、清浄。勿体ぶらずに早く言え」
 阿耨達(あのくだつ)が急かすと清浄は片手を上げてそれを黙らせた。
「攻撃をはねかえしたのは技ではないのではないですか?我々が呼吸をするのと同じように、何もせずとも反射させる…まるで鏡のように。そしてそれが金鏡の名の由来」
 清浄の答えに金鏡が声を出して笑った。
「いいね。けど八十点。名前の由来は違うところから来ているんだ」
「その他は清浄の言った通りなのか?」
 吉綱が聞くと金鏡はただ微笑んだ。
「長話はこの辺で終わらせないか?退屈だろう?なぁ、慧喜童子(えきどうじ)
 金鏡の目には慧喜が静かに動き出している姿が見えていた。
「慧喜、ここは俺に任せてくれ」
「断る」
「慧喜!」
 制多迦が肩で息をしながら切実に訴えているのは慧喜も分かっているだろうが、彼女は歩を緩めない。
「満身創痍で何を言う。それで戦えるわけがないだろう」
「それは慧喜も同じだろ?」
 吉綱が慧喜の左腕を指差した。皮膚が青く変色して、とても痛々しい。もう上げることも出来ないのだ。
「そこのやつよりはよっぽど動ける」
 慧喜が顎で制多迦を指した。制多迦が苦々しい顔で慧喜を睨んだ。
「まぁ、待て慧喜。もう少し頭を使え。普通にやって勝てる相手じゃないだろうが」
 指徳(しとく)が慧喜の三叉戟(さんさげき)を掴んで止めた。
「何か案があるというのか?その能天気な頭で案など出せるものか」
 慧喜が指徳の手をほどいて行こうとするが、指徳の力は存外に強く、彼女には外すことができなかった。
「俺の頭が能天気なのは認めるが、ここにいるのは俺だけじゃないだろ。なぁ、清浄」
 指徳が清浄に話を振った。清浄は苦笑している。
「たまには自分で考えるということをしてはいかがです?脳が縮んで消えてしまいますよ」
「これぐらいで消えるならとっくの昔に消えてるさ」
「おい、指徳の頭の話はいい。案があるのか?それともないのか?」
 阿耨達の言葉に清浄が微笑みを返した。
「私を甘く見ないでいただきたいですね。一度しかいいませんから、皆さんもっと寄ってください」
 清浄の近くに寄って行って、何か話している。それを金鏡はただ楽しそうに眺めていた。
「わかりましたか?指徳、覚えましたよね?」
「なんで俺に聞くんだ」
「貴方が一番心配だからです」
「それもそうだな」
 指徳が大声で笑った。
 皆が金鏡の方に振り返ると金鏡は彼らを見据えて聞いた。
「相談は終わったのかな?」
「えぇ、お陰様で」
 清浄がそれに答える。
「それは良かった。せいぜい退屈させないぐらいに頑張ってくれよ」
 その言葉を合図に慧喜が飛び出した。三叉戟を構え金鏡に迫っていく。
「案があるんじゃなかったのか?」
「オン!!」
 清浄が素早く捕獲の青い経巻を投げた。経巻が金鏡に絡みついた次の瞬間、慧喜が三叉戟を突き出す。
「なっ…!!」
 経巻が金鏡を捕まえることを拒否し、帰ってくると術者を、清浄を締め上げた。慧喜の三叉戟は金鏡に届いたが、渾身の一撃ははねかえり、慧喜の両足を使えなくさせた。慧喜がひきつった悲鳴を上げる。
「案はこれで終わりだったのか」
 金鏡の一言を聞いて、経巻をほどいていた清浄が笑った。
「何が可笑しい。……!!」
 金鏡の目が右端に動くものを捉え、そちらを向く。慧光が作った式神(しきがみ)が飛んできていたが、それを叩き落とした。
「そっちに気を取られるな」
 黒布を翻して金鏡が振り返った。制多迦が金剛棒をまっすぐに振り下ろそうとしていた。
「こっちもな」
 その左側で指徳が三叉戈(さんさほこ)を袈裟掛けに振る。どちらの攻撃もはねかえり、指徳は右肩をやられた。すでに限界に達していた制多迦は完全に意識を失い、倒れる。
(いかずち)!!」
 阿耨達の声が響き、金鏡を包むように雷が落ちる。それに重なるように指徳が二回目の攻撃に出た。
「この程度で倒せると思うなよ」
 金鏡が軽く手を振るとまとわりついていた雷は阿耨達と龍の元へ戻っていく。
「…がっ……!!」
 彼らは雷に当たり、黒こげになって落下する。吉綱が術を発動させ、なんとか地面へ直撃は免れたが、痛みに苦しみ悲鳴を上げている。
「阿耨達…!!」
 吉綱が金鏡の方を見ると、彼は指徳を片手で持ち上げて投げているところだった。地面に転がった指徳は肩を押さえて、立つことも出来ずに喘いでいる。
「指徳…」
 吉綱が泣きそうなほど顔を歪めた。
「オン!!」
 なんとか経巻から開放された指徳が金色の経巻を出して投げた。暮を締め上げたのと同じ物だ。
 それが金鏡に向かっていくと同時に慧光(えこう)降魔(ごうま)の剣を構えた。
帰命(きみょう)したてまつる。三界殺害熱悩尊(さんがいさつがいねつのうそん)よ、浄めたまえ、諳んじたまえ。忿怒尊(ふんぬそん)よ、浄めたまえ、祓いたまえ」
 二つの真言を重ねた降魔の剣は熱を帯びて赤く染まる。
 金色の経巻は金鏡に絡みつき絞めたが、すぐに清浄の元へ戻り、清浄を締め上げた。鈍い音が吉綱の耳にも届き、清浄は血を吐いて倒れる。
「清浄!!」
「この…!!」
 遠くから金鏡を狙っていた烏倶婆哦の手から矢が放たれる。無数の矢は全て金鏡に当たったが、金鏡は痛みを感じることなく矢を抜く。烏倶婆哦の衣が真っ赤に染まって、悲鳴を上げる暇すらなく、烏倶婆哦が地に伏した。
「あぁぁあー!!」
 叫び声を上げなら慧光が降魔の剣を振る。降魔の剣が金鏡の肉を焼く音が聞こえた。
「邪魔だ」
 剣ごと慧光を吹き飛ばす。焼けたと思った脇腹にはなんの傷ものこっていない。
 慧光が言葉にならない悲鳴を上げて地面を転げ回る。脇腹には焼けた跡がくっきりと浮かび上がっていた。
「慧光!」
「残るはお前だけだ」
 吉綱が目を見開き、向かってくる金鏡に対して反射的に印を組み、慈救咒(じくじゅ)を唱える。
「ナウマクサンマンダ、バサラ」
「遅い」
 金鏡が、暁として動いていた傀儡の刀を吉綱の右胸に向かって突き出した。剣が右胸を突き、背中から吉綱の鮮血で染まった刀が突き出している。
「…ぁ……」
「意識があるうちに教えてやろう。俺の名前は金鏡でも、ましてや暁でもない。あの世への手土産に持って行け」
 吉綱の身体はゆっくりと力を失い、崩れ落ちていく。地面が吉綱を囲むように赤く濡れていく。金鏡は刀を吉綱から抜くと、周りを見回した。
「さぁ、次は誰が消える?」
 やっとのことで意識を取り戻した制多迦は吉綱の右胸に刀が突き刺さり、力なく地面に崩れ落ちる様子を見ていた。
「吉綱?おい!起きろよ!何やってんだよ。そんな傷、お前なら治せるだろ?吉綱…」
 制多迦の声に吉綱は答えない。答えることはない。
 悲しい現実をつきつけられて制多迦が叫んだ。
「吉綱ー!!」










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