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護法之書
第九話（下） ＊ ＊ ＊
「セイ!!急いで!!時間がないのよ!!」 「 矜羯羅の長い黒髪が揺れる。彼女がいつも着ている薄桃色の長い丈の衣では走りにくいのに、それでも懸命に走っていた。 矜羯羅に並走していた式の中の一匹、 「キリがない…!!」 「矜羯羅、さがれ。俺がやる」 矜羯羅と彼女の式神たちがさがったのを見て、制多迦は金剛棒を引き抜き、横に大きくはらった。その衝撃波だけで敵が倒れていく。 「行くぞ」 「はい」 そのまま、そこを通り抜けようとしたが、敵は再び湧き出てきた。何者かの術によって影は無限に増えていくのだ。 「やっぱりダメか…!!」 「本体を打たないことにはどうしようもないわ。 式神の一匹、 「セイ、まとめては全部倒せないの？」 「この数は無理だ」 「やっぱり、そうよね…」 八大童子の中で一番強い制多迦でも無理だということは分かっての質問だった。倒せるものならさっきの一撃で全部を倒していただろう。 「呪術なら遠い敵でもまとめて倒せるのに…」 「ここには俺たちしかいないだろ。他の六人は別の仕事で、ここは俺たちの担当だ」 「分かってるわ…分かってるんだけど…。ここは慧光に回すべきだったんじゃないかって、すごく思うの…」 「例え慧光がいてもこの数は無理だ。倒しても、長期間癒しの眠りにつくことになるだろう。通力を使いすぎる。俺たち 制多迦が顔をしかめ、相方の様子を伺った。悲しそうに目を伏せていて、彼女の明るい赤茶色の瞳は見えない。 「矜羯羅、まさか自分で倒そうとは考えてないよな？攻撃専門の慧光ですら長期間の癒しの眠りにつくことになるのに、治癒専門のお前には無理だ」 「それぐらい私が一番わかってる。だから……だから、そんな自分がとても嫌なの。肝心なときに全然役に立てないじゃない…」 制多迦が深くため息をついた。とりあえず今はそんなことを言っている場合じゃない。 「矜羯羅、急がなくちゃいけないんじゃなかったか？」 「そうよね」 近くの敵を倒しながら二人は進んでいく。 「どれが親玉なの!?」 「ここにいるとは限らないだろ」 「でも、見つけて引導渡さないといけないのよ」 「それぐらい、俺だって分かってる」 制多迦が辺りを見回し舌打ちした。一人だけ格好が違うやつがいれば、分かりやすいのだが…。 制多迦の目にチラリと青っぽいものが映った。影は皆黒づくめなのに、ほんの少し青いものが。 「そこか!?」 制多迦が金剛棒を振り下ろし、その衝撃波で敵が倒れていく。邪魔なものが全て取り除かれて、敵の姿がはっきりと映った。確かに影と同様に黒尽くめではあるが、自分の存在を誇示するかのように、彼だけは首に青い布を巻いていた。 「ご名答。さて、もう足止めは必要ないから最後と行こうか。まずはそっちの女から」 男の食指が矜羯羅を指差した。影が二人の間に湧き出てきて、二人を引き離す。 「何が目的なんだ」 制多迦は影に捕まり、抜け出そうともがきながら男に聞いた。男が口端を引き上げる。 「目的？もちろん、仏神の滅亡。そして、我が主による世界の支配だ。我々はあの方に付き従うことを決めたのさ。だから、そのために死ね」 影が矜羯羅との距離を縮めいく。影が彼女を取り囲み、その力を欲するように手を伸ばしてきた。犬神の梢が矜羯羅に触れようとした影に噛み付いた。影が梢を振り払い、地面に叩きつけられて甲高く鳴く。 「梢!!」 梢に気を取られた隙に、影が矜羯羅を捉えようとする。一瞬遅れて彼女が振り返ると 「栃!!」 矜羯羅が栃に手を伸ばして触れようとするが、後もう少しというときに影が栃を邪魔そうに蹴り上げた。矜羯羅が悲鳴を上げる。梓が矜羯羅を引っ張って彼女より前に出た。表情のない影が梓の首元をつかんだ。 「やめて!!」 矜羯羅が梓を守ろうと影の手を振り払う。 「 矜羯羅のぶら下げている筒から蛇のような形をした 影が一体も近寄れなくなり、矜羯羅が進み出ようとした時、風を切る音が響き短剣が椿の首元に突き刺さった。血が溢れ出して椿が音を立ててその場に倒れた。椿の召喚した業火も消えていく。 「椿…そんな」 顔を歪め、ギリギリで泣くのを押さえている矜羯羅に、 影が口を開けたり閉じたりし始めた。やがてそれは言葉になる。 「オマエハ、邪魔ダ」 梓の腹部を影が思い切り蹴り飛ばした。それでも梓は矜羯羅の前に立ち、狐火で応戦している。 「放せ!!」 「しばらく仲間が殺されるのを眺めるといい。鬼神でも首を落とされれば、生きてはいられないからな」 制多迦が男を睨んだ。男は悪意しかこもっていない目で、無感情に彼を見返す。制多迦がどんなにもがいても、腕を振り回しても影は制多迦を逃がさないように捕まえていた。 「貴様!!」 「その状態で何が出来るのかな？八大童子。あぁ、あまり暴れない方がいい。暴れるとほら」 せめて片腕だけでも抜け出せれば矜羯羅を助けることが出来ると、必死に腕を引き抜こうとしていた制多迦の肩に刃物が振り下ろされた。 「手加減できなくなるからさ」 傷口が熱を持ち、血が流れ出る。衣も地面も赤く染まった。 影が梓の腹部を何度も蹴る。雨上がりの地面に叩きつけられ、梓の真っ白な毛並みは原形をとどめないほどに汚れてしまった。 「やめて…!!梓…!!」 もう一度地面に叩きつけられた時、梓が出していた狐火が完全にかき消えた。梓も微動だにしない。 「…梢…栃…椿………梓…」 矜羯羅の口が消えていった式神たちの名前を紡ぐ。 影が矜羯羅に手を伸ばして捕まえようする。 「アビラウンケン」 矜羯羅が 「やめろ!!やめてくれ!!」 「うるさいな」 男が影に指示を出して、制多迦の肩を貫く刃を少しずつ動かす。肩は麻痺し、痛みで五感が狂い始める。 結界の力が消えて影が矜羯羅に襲いかかった。影は弄るように少しずつ彼女に傷をつけていく。 その時、矜羯羅と制多迦の目が合った。 「ごめんね、セイ」 矜羯羅がそう言ったように聞こえた。制多迦が何のことを言っているのかと聞こうとした。しかしその前に矜羯羅は目線をはずして、素早く印を組んだ。それは治癒でも守護でもなく攻撃の印だ。 「やめろ、矜羯羅ー!!」 制多迦は彼女が何をしようとしているのかに気がつき、止めようとした。腕を強引に引き抜き走った。しかし、その前に術が完成した。 「立ち消えよ、闇に染まりし悪鬼ども」 矜羯羅の最後の言葉で術が発動する。白い光が辺りを照らし、影をその純粋な力で焼いて消滅させる。 矜羯羅がその場に音も立てずに倒れた。 「あの女は馬鹿か？俺が残っていたらいくらでも影は出せるのに、こんなことに力を使い果たして」 「影を出す前に俺がお前を倒すと分かっての行動だ」 制多迦が男の背後に回り、金剛棒を振り上げた。 ＊ ＊ ＊
帰ってきた彼らを見て皆、絶句した。制多迦の肩からはとめどなく血が流れ出て、腕を上げることもままならない。その制多迦に片腕で抱きかかえられている矜羯羅は固く目を閉ざし、肌は死相が漂うほどに青白い。それに相対するように衣は彼女の血で赤黒く染め上げられていた。 「矜羯羅は……」 烏倶婆哦の短い問いに制多迦が首を振る。その意味を正確に読み取って、烏倶婆哦は唇を噛みしめた。 「制多迦、何があったんですか？」 清浄が出来るだけゆっくりと聞いた。制多迦は何も言わずに曖昧に微笑んだ。 「制多迦、矜羯羅を連れてこっちに」 不動明王の声が響いた。制多迦が一歩踏み出したところで、烏倶婆哦がその手を掴んで止める。 「俺が連れていく」 「烏倶婆哦、明王の命令は制多迦が矜羯羅を連れていくことだよ」 慧光がたしなめた。口には出さないが、慧喜や指徳、阿耨達、清浄も同意している様子が見てとれた。 「慧光、いい。全員ここに来なさい」 明王の命令に皆が動き出した。烏倶婆哦は制多迦の方をジッと見ているが、制多迦は前を向いたまま彼を見ようとはしない。 不動明王の前に着くと、制多迦は用意されていた台座に目を閉ざした矜羯羅を寝かせてさがった。 「制多迦童子、前に」 明王に乞われて、制多迦が明王のすぐ側まで歩いて行った。明王が 「じっとしていろ。治せないだろうが」 明王の手から通力が発せられ、流れ出る血を止めて傷をふさいだ。制多迦の肩は薄く皮が張った状態にまでたちまち治った。 不動明王が肩から手を放し、首を振った。 「これは跡が残るな」 「それぐらい構わない。こうすればいいだけだ」 そう言って制多迦は腰に巻き付けていた赤い布を肩から掛け、腰でしっかりと結んだ。布で肩の傷が完全に隠れる。 「それよりも明王、矜羯羅はどうなる。明王なら治せるだろ？」 冷静に制多迦が聞いた。明王が困ったように笑う。 「制多迦童子、私にも出来ないことはあるんだよ」 「明王!!不動明王!!矜羯羅は…矜羯羅はこのまま目覚めないのか!?」 今まで感情を抑え、口を出してこなかった烏倶婆哦が喋った。 「矜羯羅は目覚める」 明王の言葉に誰とは言わず、安堵のため息が漏れた。 「ただし」 皆に緊張が走った。 「何があるというんだ」 阿耨達がいつになく緊張した様子で明王に聞いた。 「矜羯羅が目覚めるのは、早くても千年後だ」 「千年後!?」 指徳が思わずおうむ返しに聞いた。 「早くても、千年後だ」 指徳と、そして自分に言い聞かせるように繰り返した。 「もっと…もっと早く目覚めさせる方法はないのか!?」 「烏倶婆哦、やめなさい」 強く噛みすぎて烏倶婆哦の唇からは血が一筋流れていた。清浄がたしなめたが、彼は清浄の手を振りほどき、明王に近づく。 「明王!!」 「烏倶婆哦、さがれ」 指徳がこのままでは明王に掴みかかりかねない烏倶婆哦の肩を掴んで、容赦なく引きずっていく。 「方法は…ないことはない」 「明王!?」 「あるなら、例え俺の命を引き替えにしても、矜羯羅を!!」 「烏倶婆哦!!」 清浄が烏倶婆哦の頬を思いきり叩いた。烏倶婆哦の右頬が赤くなる。 「なっ!!」 「馬鹿なことを言うのはやめなさい。命を投げ出していいわけがありません」 清浄はいつも浮かべている微笑みをかき消して、本気で怒っていた。 「清浄比丘、その辺にしておいてやれ」 明王の指示で清浄が少し下がった。 「矜羯羅を目覚めさせる方法は？あるのだろう？」 「慧喜、もちろんある。この状態では早くても千年だが、他の器に入れておけばもっと短くなる」 「他の、器っていうのは？」 「人間の身体だ」 「人!?」 「…明王様、それは安全なのですか？」 「安全ではないだろうな。時間が充分でなければ、矜羯羅を目覚めさせることは不可能に近くなる」 烏倶婆哦が問いただそうとするのを目で黙らせてから制多迦が明王の方を向く。 「時間はどれくらいかかる」 「人の一生分、六十年から七十年というところだろうな」 明王が制多迦を見据えて続ける。 「この方法をとるのなら、制多迦、お前も人界に行って矜羯羅の魂を護れ」 制多迦はすぐに片膝を地面につけて頭を垂れた。 「その任、承知した」 「制多迦、肝に命じておけよ。矜羯羅の魂を護りきれなければ、矜羯羅は消滅する」 制多迦が立ち上がって、不動明王を見据える。 「そんなことは百も承知だ」 「おい」 烏倶婆哦が声を出した。いくらか声が震えている。本当は自分が矜羯羅の護衛に就きたいのだろうが、役不足なのは重々承知していた。 「矜羯羅を、矜羯羅のことを頼んだ」 「言われなくても」 その言葉をしっかりと噛みしめてから、烏倶婆哦が台座のもとに膝をついて、矜羯羅の冷たくなった手を握る。脈は彼女が生きていることを主張するように、僅かでも確実に刻んでいた。 「矜羯羅、聞こえるか？聞こえなくても、その耳に残してくれ。俺はお前が目覚めるのを待ってるからな。百年でも二百年でも待ってやる。だから…戻ってこい…!!」 烏倶婆哦の目から透明な雫がポタポタと落ちて、布に染み込んでいく。 明王が眉間に皺を寄せ、おもむろに口を開いた。 「矜羯羅が転生する先は決まっている。前から目をつけていた家だ。そこの家でもうすぐ次男が生まれる。その子に矜羯羅の魂を入れよう」 ＊ ＊ ＊
中級の物の怪に追いつめられている彼を見て、まず最初に思ったことは「トロい」だった。矜羯羅の転生だとか、そういうことよりもまずそれを思わずにはいられなかった。 でも、よく見ると腕に子猫を抱えていて、俺はその場の緊張感に似合わないぐらい笑ってしまった。あぁ、やっぱりこいつが矜羯羅の転生なんだと分かってほっとしたのだ。 笑い声で藤原吉綱はこちらに気づいた。そして声には出さずに、唇で初対面の俺に「逃げろ」と言った。 俺はその場に落ちていた棒を拾い上げて、吉綱と物の怪の間に立った。 「お前…」 また「逃げろ」と言おうとする吉綱を無視して、物の怪に向き直る。伸びてきた触手を棒で叩き落として、不敵に笑ってみせた。 「失せろ」 俺の隠している力を感じとった物の怪は即座に逃走した。 「お前、見えてたんだろう？なんで逃げなかったんだ」 振り返った俺に吉綱が少し怒ってように質問を投げかけてきた。 「逃げる必要はなかっただろう。あと、お前じゃなくて『セイ』だ」 ＊ ＊ ＊
「吉綱……また、なのか？また…護りきれずに、失うことになるのか…？」 制多迦の頬を冷たい涙がつたい、乾いた地面を濡らした。目の前に吉綱が横たわっていても、頭が彼の死を否定する。傷が開いて、 「まだ生きていたのか制多迦童子」 金鏡が歪んだ笑みを浮かべて制多迦の方にゆっくりと歩いてくる。 「吉綱…」 制多迦の呟きを聞き取って金鏡が無邪気に笑った。 「心配しなくてもすぐに後を追わせてやるよ」 金鏡が刀を振り上げ、制多迦に狙いを定めた。 「最後に何か言い遺すことは？」 頬をつたう涙の冷たさで頭をはっきりさせて、制多迦は金鏡を殺気のこもった目で睨んだ。 「ないのか。さようなら、制多迦童子」 吉綱の右胸を貫いた凶器が制多迦に振り下ろされる。それが制多迦の背中に届く。 その瞬間、まばゆい光が辺り一面に駆け抜け、吉綱の身体に集まっていく。光が吉綱を包み込み、彼の姿が見えなくなった。 「吉綱…？」 「梓、燃やして」 女性独特の高い声が響いた。光の中から炎が吹き出し、その高熱で金鏡の刀を溶かした。溶けて使えなくなった刀を熱さのあまり、金鏡が取り落とす。 「もう、止めなさい。心を無くした堕ち神よ」 光が霧散した。白狐と女性が一歩ずつこちらに向かってくる。黒く長い髪を一部まとめ上げ、薄桃色の衣に 制多迦は呆然と呟いた。 「矜羯羅…」 今回とても奇妙な書き方をしてみました。実はこのあとがきを書いている時点で昔話の一番最初のやつだけ書き上がっていません。あとがきになってなくても気にしない！ え〜…遂にやってしまいましたね。主人公殺し。そして代わりに出てきたのは、話題にだけは挙がり続ける矜羯羅童子。内容がシリアス寄りで矜羯羅の天然さについて書けなくて非常に残念です。ちなみに書き始めた当初から主人公殺しは組み込まれていました。 東雲殺しはスルーして、やっぱり語るべきなのはあれですか？暁さんの復活。金鏡様と同一人物だったんですね。 何よりも作者自身が一番腹黒いんではないかと思われそうな第九話でした。 次回は…第十話。結構長くなったこの「護法之書」の最終話です。最後までお楽しみいただければ幸い、ついでに感想を送っていただければ作者としてはとても嬉しいです。 |