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犀雅国陸軍軍事記録
第10話 師匠の遺言


 マフィアを潰せという任務から二日後、朝比奈大佐は第三部隊執務室でしょぼくれていた。そこに副官である柳中尉がコーヒーと思われるもの黒っぽい飲み物を手にして入ってきた。
「何してるんですか大佐。仕事してください」
「…ビクトリアを取られました…」
「そうですか」
 中尉は手に持っていたカップを大佐の前に置いた。カップからは白い湯気がたっている。
 まだ春先、暖かさを求めてコートを羽織ってしまうほどの寒さが続いていた。温かそうな飲み物を見ると大佐は手を伸ばしカップを取って一口飲んだ。
「うわっすっぱ!苦!まず!」
「酷いですね。元気が出るようにブレンドした柳スペシャルブラックティーなのに」
「ブラックティーっていったい何を入れたんですか!?」
「はと麦、アッサム、アールグレイ、こう酢、黒酢、リンゴ酢、高麗人参、タツノオトシゴ、玄米、魚の血液、鳥の肝臓、羊の腸、トカゲの尻尾と脳みそ、あとふぐの内臓です」
「ふぐの内臓ってふぐ毒があるじゃないですか!殺す気ですか!?」
「ふぐの内臓は冗談です」
 「ふぐの内臓は」ってことは他のものは入れたんですか…。まだ口の中に味が残ってるんですが…。
 さり気なくミネラルウォーターを取出し口直しをしていると、中尉がデスクの上に紙の束をどさっと置いた。
「これはいったい…」
「今日中に終わらせる仕事です。終わるまで帰しませんよ」
 大佐は頭を抱えて呆然としていた。その紙束はいつもこなす量の二倍、いや三倍はあった。
「ところで大佐。シス・クラストは純銀製で人を切っても血に染まらない特殊な剣ですよね?あれどこで手に入れたんですか?」
 もしや盗んだのかと本気で考えていた中尉に紙束の一番上のものパラパラめくって見ていた大佐はため息をついて言った。
「シス・クラストっていうのはビクトリアのことですよね。ビクトリアと呼んでくれませんか。あの白銀に光る美しい剣にシス・クラストなんて野暮な名前は似合いません。ビクトリアは、それはもう少女のような儚げな細身の剣でありながら女王のような気高さを兼ね備えた…」
「そんなことはどうでもいいですから私の質問に答えてください。じゃないと撃ちますよ」
 中尉の人差指はすでに拳銃の引き金にかかっていた。
「…分かりました。あれは私の剣の師匠にもらったというか形見みたいなものです。少し昔話をしましょうか」






 斉刻地方の小さな剣道場。そこは70歳になろうかという老人が一人で切り盛りしていた。
「総一郎。どこにいるんだ」
 髪の短い15歳くらいの少年が走ってきた。
「師匠、俺はここにいますよ。何か用ですか?」
 急いで走ってきたので頬を紅潮させている。手には木でできた剣を持っていた。総一郎と呼ばれた少年はこの老人の一番弟子でこの小さな道場の跡継ぎと目されていた。
「妻はどこにいる」
「?20年前に他界されたじゃないですか。何を言ってるんですか」
「そういう意味じゃない。死んだ妻はどこに行くのかと言ってるんだ」
「空より高い所か三途の川の先か…」
「馬鹿か?墓にいるに決まってるじゃないか」
「…からかってるんですか?」
「そうだな」
 老人は声を立てて笑った。一方総一郎はがっくりとうなだれていた。剣の師であるこの老人は時々こうやって総一郎をからかっては楽しんでいたのだった。
「で、何か他に用があったのではないのですか?」
「あぁ。すっかり忘れていた」
 大丈夫かよこのじいさんと心の中で総一郎は言った。
「じいさんとは何だ!ぴちぴちの70歳だ!」
「今俺心の中で言ったんですが…。70歳でぴちぴちって…」
「うるさい!今ので話がずれてしまったではないか!」
「話をずらしたのは師匠なのでは…」
「…とにかく、お前に渡したいものがある」
 師匠は掛け軸の裏から布に包まれた長い物を出してきた。
「なんて言うか…掛け軸の裏に物が隠されているなんて…べたですね」
「からくり屋敷みたいで面白いだろう?」
「……」
 黙ってしまった総一郎はほっといて師匠は包みを広げた。中から細身の長剣がころがり出てきた。白い漆で作られた鞘は見事な銀装飾で包まれている。
「この剣はいったい…」
「これはシス・クラスト。お前にこの剣をやろう。ただし絶対に抜いてはいけない。これは抜いたが最後、その者は剣に心奪われ敵と見なした者すべてを排除するまで戦い続けるという呪われた剣だ」
 言ってすぐに総一郎はシス・クラストを抜いてしまった。白銀の刃が輝いている。
「抜くなと言っただろう!!すぐにおさめろ!そうすればまだ間に合うかも…」
 総一郎はシス・クラストをしっかりと握り切っ先を師匠に向けた。眼が真っ赤に純血している。
「くそ!手遅れか…」






「『シス・クラストを抜いてはいけない』と言うのが私の師匠の遺言でした」
 朝比奈大佐のこの言葉で大佐の弟子時代の物語は締め括られた。柳中尉はハンカチで目頭を押さえている。
「道場の後継ぎに呪いの剣を渡したから殺されたなんて不幸なお師匠さまですね」
「いや。殺してないですから。それどころか死んですらいませんよ」
「は?今遺言だって言ったじゃないですか」
「遺言だと思えと言われました。師匠は今山にこもってますよ。84歳ですが下手すると私より元気です。」
 ば、化け物だ…。中尉はそう思わずにはいられなかった。
 そんな所に白衣の悪魔こと三浦一等軍医正がめずらしくドアから入ってきた。
「いいお話を聞きましたわ。魔剣シス・クラスト、ぜひその秘密を解明してみたいです。シス・クラストはどこにあるのですか?」
「だ、大総統のところに…」
 大佐がそう答えると三浦軍医は風のように出て行った。どうも軍医は地獄耳でもあったようだ。
「解明って…。大佐、このままだとシス・クラストはばらばらになりますよ」
 中尉の言葉に息を呑み、大佐はものすごい勢いで白衣の悪魔を追っていった。
「ビクトリアー!」
 大佐が出て行った執務室に残された柳中尉は大佐のデスクを叩いて叫んだ。
「大佐ー!仕事しろー!」







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