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犀雅国陸軍軍事記録
第26話 誘拐と血刀1


 後頭部のズキズキとする激しい痛みに朝比奈大佐は目を覚ました。暗闇しか見えずに数回瞬きをした。それでも暗闇は暗闇のままで、大佐は目頭をこすろうとして気がついた。手が動かせない。頭より上に手を上げた状態になっているのは分かるが、何かで手首を縛られているらしく動かなかった。
「ここは一体…」
 やっと闇に慣れてきた目で辺りを見回した。窓のない部屋のようだ。背中に当たっているのも足元にあるのも冷たいコンクリート。大佐が縛られている正面の壁には重苦しい鉄の扉があった。少なくともここが斉刻司令部でないことは確かだ。斉刻司令部にこのような部屋は存在しない。
 どうにかしてこの戒めを解こうと腰に目をやった。
「剣が…ネロが……ない」
 いつも大佐が腰にはいていた黒い剣、ネロは消えていた。見回しても部屋の中には何もない。
 ふと上を見上げると大佐の手首を縛っているものが見えた。鎖だ。天井に片端を埋め込まれた鎖が大佐の手首を縛っている。最初から誰かを監禁するために作られた部屋としか思えない。それに、金属では力ずくで切ることは出来ない。もともと大佐はそこまで力があるわけではないので、縄でも切れないが。
「何故こんなことに…」
 大佐は記憶が途切れる少し前のことを思い出した。そう、それは柳中尉も上田伍長も執務室にいない時だった…。






 中尉も上田もいないからと、大佐は司令部を抜け出して巡回という名の散歩、中尉に言わせればただの仕事サボりをしていた。街中を歩き回って様々な通りを過ぎた後、そろそろ戻らないと銃を構えた中尉に怒られると思って帰路に着こうとした時、人気のない暗い通りで女性がうずくまっているのを発見した。近づいて行き、膝を折って女性に声をかける。
「大丈夫ですか?どこか具合でも悪いとか?」
「…いえ……大丈夫……」
 か細い声で女性が答えた。ストールを頭から被っているため顔は見えないが、あまりに元気のない声に大佐は心配になってさらに話しかけた。
「医者を連れてきましょうか?動けるのなら直接行ってしまったほうがいいんですが」
「私のことは心配せずに…」
 ガンッ!
 突然の衝撃に何がなんだか分からず、大佐は近づいてくる地面から目を放して、後ろを振り向いた。棍棒を持った黒服の男が立っている。棍棒には生々しい血がついている。あれは自分の血だということに大佐も気がついた。地面に突っ伏して、なんとか立ち上がろうともがくが、体に力が入らない。段々と意識も薄れてきた。
「私ではなく、あなた自身の心配をしないとね?」
 耳に入ってきた声に反応して大佐はなんとか女性のほうに顔を向ける。薄れ行く意識の中、大佐の目に歪んだ笑顔を浮かべる女性の姿が焼きついた。






「中尉ー、大佐どこ行ったか知ってますかぁ?」
 大佐に頼まれていたと思われる資料の類を持って上田が執務室に顔を覗かせた。
「知るわけないでしょう。こっちは大佐が消えたせいで仕事が増えたんですから」
 イライラと中尉は目の前に積み上げられた書類の山に目を通していた。いつもなら大佐を見つけてから大佐の机の上に山積みにするのだが、今日は何故か急ぎの書類が大量にあって、中尉自身が大佐を探しに行くことも出来ない。しかもどう考えても急ぎの書類が大量にある理由は、大佐が日々仕事をサボるからだと思えてならない。
「おかしいっすね。いつもなら中尉が怒るのわかってるから、そろそろ帰ってくる頃なんすけど」
 大佐の机に資料を置いた。大佐の机の上はもう山積みのレベルを超して、雪崩が起きている。
「分かりましたから、上田、執務室宛に届いた郵便物取りに行ってください」
「へいへい。探しに行けとか言わないんですね」
「少尉と軍曹に探してもらっています。上田よりもよっぽど早く見つけてくれますから」
「…そうですか…」
 上田伍長が出て行ってすぐに、少尉が執務室に入ってきた。今日は後ろに軍曹がいない。大佐の机をチラッと見てから忙しそうにしている中尉に話しかける。
「朝比奈大佐はまだ帰ってきてませんよね?」
「はい」
「もしかしたら、帰ってきてるんじゃないかと思ってきたんですが…」
「残念ながら、まだ帰ってきてません。市ノ瀬軍曹はどうしたんですか?」
 一瞬、書類から顔を上げて、中尉が聞いた。
「市ノ瀬はまだ司令部内を探し回ってます。私は司令部内に大佐の姿は見えないと報告しにきたんです」
「そうですか。では街の方も探してください。見つけたら縄で縛ってでも連れてきてください」
「分かりました」
 少尉が出て行ってから、中尉は書類を机の上において息をついた。通常の仕事に加えて、大佐の仕事もしなくてはならないのでとても疲れる。
「どこ行った……あの馬鹿大佐は」
 悪態をついて、中尉は仕事に戻る。執務室には今、中尉一人しかいない。






「誰か……助けに来てください…」
 立ったまま手を頭の上で縛られているので、いいかげん足が疲れてきていた。しかも、大佐が目覚めてからこの暗い部屋に誰も入ってこない。足音もしないので、本当はこれは夢なのではないかと何度も思ったが、後頭部の痛みがその可能性を打ち消す。
 はたして、斉刻司令部の人間は私がいなくなっているということに気づいているのかという疑問が大佐の頭をよぎった。多分気づいているだろう。あの中尉のことだ。サボったと思って怒っているの違いない。
「帰ったら怒るどころかバズーカまで出してきそうだ…」
 そうなったら背が高くて丈夫そうな軍曹の後ろに隠れよう。いや、軍曹だと中尉に命令されたらすぐに私を差し出すに違いない。やっぱり上田を生贄に…。
 それよりも先にどうやってここを脱出するかが問題だった。もしかしたら天井から鎖が抜けたりするんじゃないかと思って手を下に引っ張ったが、結果は手首を傷めただけだった。大佐一人では鎖を解くことすら出来そうにない。誰かに助けに来てもらわないとどうしようもない。
「誰か…ビクトリアー!!」
 大佐の叫び声が部屋中に響いた。どう考えても呼ぶ名前が間違っていた。












2008年6月22日


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