犀雅国陸軍軍事記録
第28話 誘拐と血刀3 意気消沈した上田伍長が執務室に帰ってきた。上田はそのまま何も言わずに椅子に座り、柳中尉に背を向ける。 「上田」 「………」 パンッ。 中尉の銃が火をふいた。頬にかすり傷を作った上田が慌てて中尉のほうを向く。 「ちょっとは部下を労わるとかしないんすか!?」 「報告を怠るような部下を労わる気持ちはこれっぽっちもありません。それで、大総統はなんと?」 「自己判断で動けと…」 「ちっ…」 中尉が銃の引き金に再び指をかけたのを見て、上田は素早く両手をあげた。 「八つ当たりはやめてくれ!やるなら直接大総統に!」 「八つ当たりではありません」 「じゃあなんすか!?」 「やっぱり上官が冷たいよりは熱いほうがためになると理解できませんか?」 「それ、頭つなげると『やつあたり』ですから!!しかもわけ分からん!」 今にも弾丸が飛んできそうなのを予期して上田が横に動くが、銃口はピッタリと上田の後をつけてくる。頭を上下左右に動かしたりしてみても、額に狙いを定めたまま上田の動きに合わせて動いた。 「すいませんすいません!もう言いません!上官につっこみいれてごめ…ぐほっ!!」 「柳中尉ー。…いたのか上田伍長」 佐伯少尉が勢いよく扉を開けたので、銃口を避けて扉の前に移動したいた上田に直撃した。そっちにはまったく警戒していなかったためにまともに喰らって痛そうに頭を抱えている。 「もうちょっとでいいんで…丁寧に扉開けてください…」 「緊急時だ」 「今の上田の言葉はそのまま投げ返します」 少尉の後ろで珍しく市ノ瀬軍曹が口角を上げている。その手には紙の束。 「そういえばお二人はどこに行ってたんすか?」 上田が大総統に連絡を取るまでは確か執務室にいたはずだ。 軍曹は紙束を机の上に置いて、静かに自分の席に座る。少尉はその紙束を指差しながら、面倒くさそうに答えた。 「資料集めだ。資料集め」 「朝比奈大佐が関係した事件など、この誘拐犯に関係のありそうなものです。斉刻司令部に置いてあった分だけですが」 少尉の言葉に軍曹が付け足す。 ふと気がついて上田が二人に別の話題を振る。 「そういえば、大総統に指示聞かないんすね」 「必要ないだろう?何かちゃんとした指示があったならお前に聞く前に、柳中尉が言うだろうから」 「あぁ。なるほど」 少尉には総統の言うことが大体分かっていたのか。上田は一人納得した。 「柳中尉」 軍曹が資料に忙殺されている中尉に声をかける。 「何か?」 「さっき少尉殿が資料室にいた時に、玄関へ行ったら朝比奈大佐を訪ねてお客さんが来ていました」 「そうですか」 「なかなかの美人でしたよ」 「珍しくよく喋りますね、軍曹。………美人?」 「はい。大佐の恋人か何かですか?」 中尉の腕が止まった。上田も口を開けて驚愕の表情を浮かべている。 「私は何か言ってはいけないことを言いましたか?」 「朝比奈大佐の恋人のことは触れちゃいけなかったのかもしれないな、市ノ瀬」 「それは失礼いたしました」 何も知らない、入隊時から斉刻司令部勤務の二人はほのぼのとコーヒーを片手に談笑していた。 「すみませーん。誰かー。せめて腕から吊るのやめてくださーい。腕が疲れるんですけどー」 大佐の間の抜けた声が部屋中に響き渡る。 大佐がこの部屋で目を覚ましてから二時間が経とうとしていた。いっこうに誘拐犯も助けも入ってくる気配はない。目を覚ましてからの時間は大体分かるが、一体どのくらい気絶していたのかも分不明なので、今何時なのかということも分からない。 「…私を餓死させるつもりか?」 思いついたことを適当に口に出してみる。なんとなくそれなら納得できる気がした。この誘拐犯が一年前の中佐殺しの犯人ならばやりそうだ。 「…犯人だったら誘拐の現行犯で捕まえられるな。それなら殺しの調べも進められるか」 ちょっと希望が出てきた気がした。もっともこの誘拐のほうではなく、中佐殺しのほうだが。 コンコン。 扉を叩く音がした。中には吊るされた大佐しかいないのに、そんなことをするとは随分丁寧だ。 「ごきげんよう、朝比奈大佐」 扉の外からもれる光を背に受けて人が入ってきた。声と背格好から判断するに女性だろう。 まぶしそうに目を細めていた大佐が、その姿を見て目を見開いた。驚きを隠そうともしない。 「貴女は…!!」 |