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犀雅国陸軍軍事記録
第29話 誘拐と血刀4


「失礼いたします!朝比奈大佐!…あれ?」
 ノックをしながら扉を開けた下っ端らしき軍人が周りを見回して、不思議そうに首をかしげる。朝比奈大佐の席は空で、部下が必死で仕事をしていたからだ。
「あの…来客なのですが、大佐はどちらに…」
「今は席をはずしています」
 顔を上げて柳中尉が答える。
「お客様は…」
「できればお引取り願いたいですね…」
「わかりました。で…お客様!?」
 下っ端軍人が素っ頓狂な声を上げた。それもそのはず、今まさにお帰り願おうとした客が勝手に執務室に入ってしまったからだ。
 動きにあわせて揺れるストレートの茶髪。トップモデル並みのスタイル。そして何故かパンパンに膨らんだボストンバックを抱えていた。
「お久しぶりね、柳中尉」
「…そうですね…軍医」
 休暇中のため白衣は纏っていないが、この人こそ三浦一等軍医正、通称『白衣の悪魔』。大佐の天敵だ。軍医本人には大佐に嫌われている、恐れられているという自覚はないが。
 中尉も客のことを知っているとわかったので、軍人は一礼してその場を離れた。
 入ってきた客が軍医だと分かった途端、上田伍長は机の下に隠れた。びくびくと震えているのが遠目に見ても分かる。そんな上田に呆れた目線を送っているのが市ノ瀬軍曹で、佐伯少尉は軍医を不思議そうに見ている。
「柳中尉の知り合いですか?」
「…私というより大佐の知り合い…ですか。少尉、軍曹、ご紹介します。こちらは三浦軍医。陸軍総司令部所属の一等軍医正で、は…大佐の二等兵時代からの知り合いです。医師としての腕は(多分)確かですよ」
「はじめまして、三浦仁美です」
「軍属の方でしたか。はじめまして。私は斉刻司令部所属の佐伯と申します。階位は少尉です。そっちにいるでかいのが、市ノ瀬軍曹」
「はじめまして…?」
 軍曹が首を傾げた。軍医が軍曹を見て微笑む。
「貴方が市ノ瀬軍曹ね。いつも武器の感想を送っていただいてありがとうございます」
「……!!爆弾の試作品をいつも送ってくださる三浦女史でしたか!!いつも文章ばかりで失礼しました」
「え?知り合い?」
 上田が僅かに机から頭を出した。軍医が目を向けるとまた頭を引っ込める。その様子に呆れた、というより飽きた中尉が上田の頭をがしっと掴む。
「挨拶ぐらいしたらどうですか。直属じゃないとはいえ、階級は軍医のほうが上ですよ。別に取って食われるわけじゃないんですから」
 いやいや、白衣の悪魔なら取って食ってもおかしくないから!!と、心の中で叫んだが、軍医の微笑みに負けてまともに頭を出した。
「お、久しぶ、り、です」
「あら、上田上等兵もこちらにいらしているとは聞いていませんでしたね」
「もう…上等兵じゃないっす……」
 上田の主張を聞き流して、軍医が鞄の中をさぐった。目的の物が見つからないのか、悲しげな顔をする。
「残念。ただの慰安旅行のつもりでしたので、上田上等兵に渡そうと思っていた新薬がありません。せっかく増血剤を改良したのに」
「こんなところまで新薬持ってきていたら俺がビックリっすよ!」
「帰ったら郵送で送りますわ」
「送ってくれなくていい…」
「遠慮などいりませんので」
 そう言うと共にニッコリと笑う。久しぶりに会う三浦軍医はまったく変わっていないということが証明された。
「そういえば、朝比奈大佐はまだお戻りにならないのかしら」
「ええ、そうですね…」
 軍医の不思議そうな顔を横目に、中尉と上田は顔を見合わせた。






「貴女は…!!道で具合悪そうにしていた…」
 やっと光に慣れてきた大佐の目に映ったのは、大佐が気絶する前に道で会った女性だった。あの時は倒れる前の一瞬しか顔を確認できなかったが、あの歪んだ笑顔は忘れようとしても忘れられない。
「あの程度の演技で引っ掛かるほど、朝比奈大佐が単純な人でよかったわ」
「……すごく褒められている気がしない」
「褒めてないもの」
 武器を取り上げられ、腕も頭の上でしっかりと縛られている大佐の頬に女性が触れた。手が近づいたことで僅かに血の匂いを感じ取る。
「貴女は一体…」
「過去に会ったことはないから知らなくていいのよ。でも知っていてもらわないと」
「何を?」
「………」
 口元に笑みを浮かべたまま何も言わない。頬から手を離して、女性は扉へをむかう。美しい後姿だが、天使や女神と現すには纏った血の匂いがきつすぎた。
「大佐はこれから自分が取引の材料になるということだけ知っておけばいいの。生きたまま渡すとは誰にも言っていないけれど…」
「取引?」
 大佐の疑問に答える者はおらず、唯一光を取り入れていた扉は再び閉ざされた。腕を縛られた彼だけが暗闇の世界に溶け込んでいく。










2009年4月4日


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