犀雅国陸軍軍事記録
第8話 犀雅国陸軍密偵作戦5 陸軍総司令部内の練習場で朝比奈二等兵(当時21歳)と同世代の一等兵が練習用の切れないように作られた剣を使って手合わせしていた。この頃には「斉刻の孤狼」という名を影でこそこそと言う人が多くなっていて、この練習試合もそんな「斉刻の孤狼」が戦うというものだから観客が多いこと多いこと。練習場に入らない程度に。「斉刻の孤狼」とは剣を握ると人が変わる朝比奈二等兵の性格を現している。いつものですます口調が抜けこのようになってしまうのだ…。 「おいおい。そんなんで大丈夫なのかよ。一等兵のトップが二等兵に負けたりしたら恥だぜ。それで俺の階級があがるならいいけどな」 …完全に別人に成り代わっている。 斉刻の孤狼が言うとおり、一等兵はすでに傷だらけでぼろぼろになっていた。切れていたら今頃血だらけだろうが切れないので打ち身だらけである。それに対して斉刻の孤狼は無傷。息すら上がっていない。 「上官だから手加減しようとか思わないのか…?」 「手加減?これでもしてるつもりだ。これ以上手加減したら観客の皆さんに悪いだろ?手加減するなというなら喜んで」 一等兵は一息つくと剣を握りなおし切っ先を斉刻の孤狼に向けた。その目には士気が宿っていた。 「抜かるなよ。俺は一等兵のトップだ。格の違いを思い知れ。お前が手加減しないというのなら、俺もここからは手加減なしでいく」 これだけ言うと構えを変えて右目を狙って突っ込んできた。斉刻の孤狼はそれを紙一重でよけると一等兵の脇に回って背中を打ち据えた。 「手加減しない」と言われたためどうも手加減なしで打ったらしい。一等兵は床に突っ伏し激しく咳き込んだ。床が鮮血に染まっていく。 「おい。もうやめたほうがいいんじゃねぇか?今ので背骨にヒビ入ったかもしれないぜ?これ以上やって半身不随になっても俺は保障できねぇ」 観客までもが棄権を勧め始めたが一等兵は首を横に振り、立ち上がると剣を構えた。そして打ち合いを始めた。斉刻の孤狼は口元に笑みを浮かべ心からこの打ち合いを楽しんでいるようだった。 「建前として棄権しろとは言ったが俺としてはボロボロの人間がどこまでやれるのか見てみたい。次はどんな手でくる?」 そう言うと斉刻の孤狼は剣を大きく振り上げ一等兵の右肩に向けて力強く叩き込んだ。一等兵はそれを剣で防いだが満身創痍の状態では力強い剣の衝撃までは防ぎきれず体勢を崩してしまった。その一瞬の隙をついて斉刻の孤狼は一等兵の腹部を切りつけた。いや、切れないので叩いたと言ったほうがいいかもしれない。あまりの速さに反応できずまともにくらい、腹部の辺りから鈍い音がして口から血を吐き出した。 その時三浦軍医見習は上官に連れられて練習場の目の前まで来ていた。 「ここが練習場。ここで怪我をした人が私達のところに送られてくるのよ。今日からあなたが担当していただきます」 中で人々の喚声が上がった。中を見ようとしても人がいすぎて中で何が起きているのか全く分からない。 「今何をしているのですか?」 「…たぶん斉刻の孤狼と恐れられる朝比奈二等兵と一等兵の頭にあたる人が練習試合をしているのかと…。大怪我だろうから応急処置じゃどうにもならないわね。安心して。病院に連れて行くからあなたのところには回らないわよ。二等兵が一等兵を殺したりする前に止めたいのだけれど…」 上官にはその時軍医見習が口元だけで笑ったように見えた。 「…この試合を止めたら患者を私のほうに回していただけますか…?」 「え?」 一言だけ言うと見習いは練習場に駆け込んでいった。その時の上官が後で語ったところによると「まるで忍者のようだった」らしい。 「今ので肋骨2、3本はいったんじゃないか?早めに切り上げないと内臓がなくなるぜ」 斉刻の孤狼が鼻で笑ったが、それでも一等兵は立ち上がり剣を構えた。唇は血で真っ赤に染まり目は虚ろで立っていることすら不思議な状態だった。それでも彼を立ち上がらせてるのは一等兵としての自尊心だろうか? そんな一等兵を見ているうちに斉刻の孤狼の最奥にある獣が目を覚ました。目が血走っていき人としての理性が取り払われていくようだった。 「立ち上がるのなら…俺に殺されてもいいということだな…」 それだけ言うと斉刻の孤狼は体勢を低くし、一等兵に突っ込んだ。一撃で相手の右足を折り、振り向きざまに首を狙った。 「えい!」 最初何が起きたのか分からなかった。声の主を探して後ろを見るとそこに軍医見習らしき人がいたその手には注射器があり斉刻の孤狼の背に刺さっていた。 「この新薬一度人で試してみたかったんです」 三浦軍医見習は満面の笑みを浮かべていた。 そこで記憶が途切れる。次に起きたときは病室のベットに縛り付けられ隣には三浦軍医見習が…。 あの一等兵は今も植物状態だという。それは斉刻の孤狼のせいばかりではないだろう。 この時が朝比奈大佐と三浦一等軍医正の最初の出会い。そして「白衣の悪魔」と陰で呼ばれ始めた頃。 大佐はこの時の事をふと思い出し薄く笑った。 「何でこんなときに…」 そしてビクトリアを鞘から抜きさった。 |